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日本法人代表インタビュー

独占告白「私たちはマリノスを買収するつもりはありません」

2015/3/11

Jリーグに外資参入

ついにJリーグに「外資」がやって来る。

昨年5月、マンチェスター・シティを傘下に置く『シティ・フットボール・グループ』が横浜F・マリノスの株式を19.95%取得した。同グループはUAEの投資会社が出資しており、他にもアメリカのニューヨーク・シティ、オーストラリアのメルボルン・シティを抱えている。マリノスがその“共同体”の一員になったということだ。

そして今年3月3日、『シティ・フットボール・グループ』は、日本法人『シティ・フットボール・ジャパン』を設立したことを正式発表した。

Jリーグのルールでは、外資系企業でも日本に法人をつくれば、クラブの経営権を持つことが許されている。すなわち、この日本法人の設立によって、今後『シティ・フットボール・グループ』がマリノスの株式を51%以上持つことが可能になったということだ。

シティの一員になったことで、マリノスはどう変わるのか?

日本法人『シティ・フットボール・ジャパン』の代表に就任した利重孝夫氏へのインタビューを3回にわたって掲載する。

利重孝夫(とししげ・たかお)、シティ・フットボール・ジャパン 日本代表マネージング・ディレクター。読売ユース出身で、東京大学在学中はア式蹴球部に所属。卒業後は日本興業銀行(現みずほファイナンシャルグループ)を経て、2001年に楽天に入社。常務執行役員を歴任し、クリムゾンフットボールクラブ(Jリーグ・ヴィッセル神戸の運営会社)の取締役も務めた。2014年11月から現職。(写真:福田俊介)

利重孝夫(とししげ・たかお)、シティ・フットボール・ジャパン 日本代表マネージング・ディレクター。読売ユース出身で、東京大学在学中はア式蹴球部でプレー。卒業後は日本興業銀行(現みずほファイナンシャルグループ)を経て、2001年に楽天に入社。常務執行役員を歴任し、クリムゾンフットボールクラブ(Jリーグ・ヴィッセル神戸の運営会社)の取締役も務めた。2014年11月から現職。(写真:福田俊介)

ソリアーノとの出会いがすべての始まり

──まずは日本法人の代表になられた経緯を教えてください。

利重:「現在、『シティ・フットボール・グループ』のCEOを務めるフェラン・ソリアーノと個人的な付き合いがあったことがきっかけです」

──2003年から2008年までFCバルセロナの副会長だった方ですね。バルサの経営改革を行ない、新たな黄金時代を築いた功労者の一人です。

「彼との出会いは約10年前、フェランがFCバルセロナの副会長だったときです。当時、私が務めていた楽天とFCバルセロナが『マーケティング・パートナーシップ契約』を結びました。今は隆盛を誇っている楽天カードですが、その時はまだ認知度が限られていたため、マーケティングとしてバルサの公式カードを出したんですよ。その窓口がフェランでした。

彼が来日した際に親交を深め、プライベートでも連絡を取り合うようになりました。その後、彼は権力争いに敗れてバルサを去り、カタルーニャ州にある『スパンエア』という航空会社の会長になりました。彼はビジネスのプロだから、いろんな業界から引っ張りだこなんです。

ちょうどその頃、彼が『ゴールは偶然の産物ではない〜FCバルセロナ流世界最強マネジメント〜』という本を出版し、日本でも発売されることになり、私がプロモーションに関わることになりました。それでさらに関係が深まった。

実はあの本は、スペイン以上に日本で売れたんですよ。その後、サッカー界がこの優秀な人材を放っておかず、2012年にマンチェスター・シティのCEOに抜てきされました」

バルサでできなかった構想をシティで実現

──スペイン人がプレミアリーグのクラブのCEOというのも面白いですね。彼はどんな構想を持っているんでしょう?

「彼は先見の明があって、常に市場を拡大していかなければならないと考えています。そこで考えたコンセプトが、発展途中の新しい市場にクラブとして入っていくというもの。すでにFCバルセロナ時代、彼はアメリカにバルセロナの姉妹クラブを作ろうとしていたのですが、クラブ内から反対の声があがって頓挫したそうです。その構想を、今シティで実行しているわけです」

──それがニューヨーク・シティFCの設立につながったわけですね。

「シティのCEOに就任した翌日、フェランはニューヨークへ飛んだそうです。それくらい力を入れていたということですね。2013年5月にニューヨーク・シティFC設立のニュースを聞いて、ならばぜひ日本にも来てほしいと思い、彼にずっとアプローチしていました。そしていろいろなご縁があって、マリノスさんとのお話が約1年前から始まり、『シティ・フットボール・ジャパン』を設立することになりました」

「マリノスを買収するつもりはありません」

── 3月3日に日本法人の立ち上げを発表すると、一部のスポーツ新聞が「外資がマリノスを買収へ」と報じました。後日、マリノスの抗議によって、そのスポーツ新聞は紙面に記事のお詫びと訂正を掲載したそうですね。

「今回のインタビューをお受けしたのは、それが理由のひとつでもあります。はっきり言わせてください。私たちは(マリノスを)買収するつもりはありません」

──すっかり買収を目指していると思っていました。

「こういう言い方がいいかわかりませんが、買収をするには、市場や商品に魅力がなければいけません。(Jリーグが)今どうなっているのか、ということを考えれば分かると思います。そういう可能性があるのなら、われわれだけではなくて、いろいろなところが手を挙げて要望すると思います。では、現状どうなっているのか? 自ずと答えは出ると思います」

──確かにJリーグは設立から20年以上が経ち、サッカーの市場が拡大しているアメリカやオーストラリアに比べると、足踏みしていることは間違いありません。外資による刺激が必要な時期が来ていると思います。

「私たちがそのきっかけになれば嬉しいですし、そういう意味でも、我々は絶対に失敗できないと思っています」

──昨年の5月の段階で持ち株比率は19.95%でした。その後、持ち株比率は増えましたか?

「変わってないです」

──今後、持ち株比率が増えたときに、クラブの名称変更をする可能性はありますか?

「これもはっきり言わせてください。名称変更の可能性は、まったくないです。それによって得られるものがまったく想像できません。買収する意味がまったくないですし、名前を変える意味もありません。

関わり方の形態が、ニューヨーク、メルボルン、横浜、それぞれ全部違うんです。ニューヨーク・シティFCは、メジャーリーグのヤンキースとの合弁で、完全に新しいクラブを設立しました。メルボルンの場合、既存のクラブを買収して、リブランディングしました。

まだ歴史が浅かったこともあり、メルボルン・ハートという名称をメルボルン・シティへ変え、チームカラーを赤から青に変えました。すでに日産サッカー部時代から伝統がある横浜F・マリノスに関しては、過半数以下の株式の取得です。

この違いはたまたまではなく、ロジカルな帰結なんです。それぞれの国におけるサッカーの市場、サッカーの歴史、プロリーグの経緯をしっかりと理解したうえで、判断をしています。

日産サッカー部時代からの歴史は、ほぼ半世紀ですよ。チームカラーも、アイデンティティも、すべて確立しています。それを動かしたり、変えたりすることが目的であるはずがありません。

チームがしっかり強くなって、サポーターが熱狂して喜んで、結果的に経済的にも潤って、選手の強化にもつながる。これが一番の目的なわけです。それに一番ふさわしい手段をわれわれは選びます。日本では当然、今の形がベストでしょう」

なぜソリアーノは日本へ熱い視線を送るのか

──ソリアーノCEOは日本をどう見ているのでしょうか。

「実はフェラン・ソリアーノも、強化部門のトップのチキ・ベギリスタインも、それからマリノスの社外役員で『シティ・フットボール・グループ』の最高財務責任者であるホルヘ・チュミラスも、強烈な日本ファンなんです」

──どういうことですか。

「ソリアーノはいろいろな国へ行ったうえで、日本に対して凄くポジティブな印象を抱いたと。そして、これは非常にプライベートな話ですが、彼が奥さんと知り合ったのは日本なんですよ。私もその場にいたんですが(笑)」

──どういったきっかけだったんでしょう?

「バルサと楽天がカード契約を交わした時、お祝いとしてスペインレストランに行きました。そのマネージャーを務めていたのが、今の奥さんです。奥さんもカタルーニャ出身で、意気投合したんだと思います。

話はそれますが、前回フェランが来日にしたとき、何を持ち帰ったと思いますか? 『すり鉢』です。それくらい日本通なんですよ。

また、これは説明の必要はないと思いますが、チキは浦和レッズでプレーしていました。今回、横浜F・マリノスにアデミウソンというブラジル人選手が加入したのですが、彼に対しても『日本はこんなに良い国だ。Jリーグに溶け込むにはこうした方がいい』とアドバイスしていました。

ほかのクラブではなかなかできないサポートだと思います。ただ、やはり浦和のことは気になるようで、チキはいつも浦和の試合結果を携帯電話でチェックしていますね(笑)」

──ホルヘさんはどうですか?

「マリノスに一番関わりのある人間ですが、彼はもともとサッカー業界の人間ではありません。やはりバルセロナ出身でフェランの右腕です。彼は若い頃に虎ノ門で働いていた経験があり、奥さんが日本人です。

いかに『シティ・フットボール・グループ』の首脳陣が親日で、日本を理解しているかをわかっていただけたでしょうか。『外資が来た!』と身構えられるかもしれませんが、西洋から見た違いを理解した上で、日本を選んだんです。

いくらビジネスといっても、ヒューマンな部分がないといけないと思います。『シティ・フットボール・グループ』は、日本の市場とともに成長していきたいというのを伝えられたらと思います」

*本連載は毎週水曜日に掲載する予定です。