Twitterではすでにつぶやきましたが、社内勉強会をやりまして、ワテクシは講師として前に立つというそういうあれでして。なんでしょうか。何でもよいのではないでしょうか。
というわけで、スライド貼り付けておきます。
はい、また例によってふざけまくった感じですが、内容はいたって初歩的かと思います。はい。
そんで、こういうのつくるたびに思うわけですが、
まあ、これみたからってUX設計ができるようにはならんよねぇ
そんなこと言うなよって言う話ですがw
いや、でも割と本気で思ってるし、こういうことって作った本人こそ言わなきゃいけないよなと思うのですよ。
やっぱりぼくはセミナーとかで手法の話をする、手法の具体的なやり方の説明をするというのにどうにも懐疑的で、その手法を取り入れられるんだったらネットに転がってる情報や本でも参考にしてさっさと自社(もしくは自分)に導入した方が早いし、導入できない事情があるならそれはセミナーにいっても解決しないし。
すごく単純な話で、何がしか導入できない理由があるからできないわけで、その問題をクリアしないことには導入できないですよね。何か禅問答みたいになってきましたが(いや、なってないか)。
これは手法を勉強しようと思っている本人にも、組織にも問題があると思っていて、前者の方はもう割と簡単に「自分でやんなきゃ何回セミナー行ったって身につかないよ」なんですけども、その「自分でやる」というときに障害として後者(組織の問題)が密接に絡んでくる。
↑でも書いたけど、結局UXDの手法だろうがなんだろうが大抵はコストがかかる。たとえば開発ツールの導入とかなら、効率化にベクトルが向くものが多いのでその範疇から外れることもあるけど(厳密には導入には学習なりのコストはかかるけど)、この手の設計とか調査の手法は「やらないで出来るならそれに越したことは無い」もんであって、つまり基本的には人日なりお金なり追加のコストがかかる。
そのコストは誰が持つのかといえば、基本的には見積もりにのってくるわけで、逆に言えばそれを重要視してくれるお客さん、プロジェクトメンバーと付き合えるか、もしくはそこにバリューを出せる組織になるかということが非常に重要で、僕も以前にいた職場でぶつかった壁でしたけど、要するに自社のサービスデザインの権限を持っている人でなければ基本的には導入はできない。
これはべつにUXD手法に限った話ではなく「考える・調べる」手法に関するすべてのことに言える。デザインが覆るとか任せるって言ったのに修正の嵐が来るとかいう「受託制作あるある」は、そもそもとして「だれが労力を使って考えるのか」という作業を両社がちゃんと見積もっていない話であるし、それは逆に言えば「考えるという作業を重要視しているクライアント」と付き合えばいいということにもなれば、「考えるという仕事にバリューを発揮できるという組織なり個人なり」の実力が無いとできないということでもあるわけですよ。
結局何が言いたいかというと、伝えるべきはやっぱり熱意とか熱さとかそういうものなんじゃないかなと。それは形を変えて「明日から出来ること」でもいいかもしれない。明日から出来るちっぽけなことでも、そこから始めるべきという熱意とその手法を伝えることが大事なんじゃないかなと、僕は思います。
コストがかかるって書いたけど、それは裏を返せば誰かが吸収すればいいんです。なんなら現場の一人が「死ぬ気で働くのでとりあえずやらせてください!」でもいいし、組織の中での一人目になった人はみんなそうだったろうし。
そういうとき、その背中を押すのは具体的なノウハウじゃない。
「この手法、取り入れたらすごいことができそうだ!楽しそうだ」
っていう熱意だと思うんですよね。
ってことは、ここまで書いて気づいたけど、僕はエバンジェリストになりたいんですかね。よくわからないけどw でもそうなのかな。そうなんでしょう(謎)
なにがしかのエバンジェリストになります。
一番大事なところが抜けてる気がするけど気にしない。
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