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中村芳平「よくわかる外食戦争」

キリン、似たようなビールばかり売る業界と決別…多彩な驚きのビール販売に大転換

文=中村芳平/外食ジャーナリスト
キリン、似たようなビールばかり売る業界と決別…多彩な驚きのビール販売に大転換の画像1キリンホールディングス社長の磯崎功典氏

 キリンビールがクラフトビールと本気で取り組むきっかけになったのは、14年にクラフトビール業界最大手のヤッホーブルーイング(長野県軽井沢町、1996年設立、井手直行社長)と資本・業務提携し、生産の一部を受託することになったことだ。その立役者がキリンビールの持ち株会社キリンホールディングス(HD)現社長の磯崎功典氏である。

 磯崎氏は2012年3月にキリンビール社長に就任した。社長就任3カ月後の12年6月、セブン‐イレブンと連携してつくった「GRAND KIRIN(グランドキリン)」を発売した。「一本で満足できるスペシャリティ・プレミアムビール」をコンセプトに、国内最軽量の330mlワンウェイびんを使用した。店頭価格238円(税込)とやや高めの設定であったが、セブン店舗約1万4000店で先行販売、個性的でクラフトビール的なところが受けて、予想外にヒットした。

 キリンにとっては「小さな成功」であったが、これを引き金に「ラガー」と「一番搾り」の2本柱を中心とした従来の大量生産・販売型のビジネスモデルから、多品種少量生産型のクラフトビールも売るビジネスモデルへの転換を模索した。

 磯崎氏がクラフトビールへの参入を決断したきっかけは、ヤッホーブルーイングとの資本・業務提携が水面下で動き出したことだった。ヤッホーブルーイングは一時期、経営不振で破綻の危機に直面したが、楽天市場に通販サイト「よなよなの里」を出店、インターネット販売で顧客を掴み浮上し、06年から15年まで9期連続で増収増益を達成している。

 12年には看板の「よなよなエール」がモンドセレクション最高金賞を受賞し、14年10月にはローソンとコラボして開発した「僕ビール、君ビール。」(350ml缶、288円)が累計150万本を突破、ローソンの店舗売上でビール大手4社を追い抜くようになった。売上高は小さかったが、ヤッホーブルーイングはビール大手5社に次ぐ第6位に躍進したのだ。

ヤッホーブルーイングとの提携

 そのヤッホーブルーイングは増収増益が続き生産が間に合わなくなってくると、資金のかかる自社工場を増設せず、ビール大手と資本・業務提携して自社製品を委託生産しようとした。同社は複数のメーカーに話を持ちかけたようだ。

 ここでポイントになったのが、ヤッホーブルーイングの親会社の星野リゾート社長・星野佳路氏の人脈だ。星野氏は慶應義塾中等部入学、以来卒業するまでアイスホッケーに明け暮れた。1983年に慶大経済学部を卒業後、84年~86年に超名門の米国コーネル大学ホテル経営大学院に学び、修士課程を修了している。留学中に飲んだクラフトビールの味わいが忘れられず96年にヤッホーを設立した。

中村芳平/外食ジャーナリスト

中村芳平/外食ジャーナリスト

●略歴:櫻田厚(さくらだ・あつし)

1951年、東京都大田区生まれ。高校2年生の時に父が急逝し大学進学を断念、アルバイトして家計を助ける。都立羽田高校卒業、広告代理店勤務。72年に14歳年上の叔父(モスフードサービス創業者・櫻田慧)に誘われ「モスバーガー」の創業に参画。フランチャィズ(FC)オーナーなどを経て、77年に同社入社。直営店勤務を経て教育・店舗開発、営業などを経験。90年、初代海外事業部長に就任、台湾の合弁事業の創業副社長として足掛け5年半でモスバーガーを13店舗展開。1985年の株式上場と244店舗展開(16年9月末)、そして同社の海外展開の基礎をつくった。慧氏は97年にくも膜下出血で急逝、享年60。櫻田氏は98年社長に就任、14年会長兼社長に就任し、今年6月、社長を常務取締役執行役員の中村栄輔氏(58)に譲った。社長交代は18年ぶりのことだ。櫻田氏は中村氏に国内事業、新規事業を任せ、海外事業に全力を注ぐ構えだ。「モスバーガー」を世界のブランドにするという、夢の実現に向かって挑戦しようとしている。

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