古文の登場人物「ヒエ~ッ!一大事やんけ!」
- 2015/10/20 05:01
- カテゴリ:歴史 ,
1:名無しさん@おーぷん: 2015/10/16(金)20:38:58rBi
「一句詠まなきゃ」
彡(;)(;)「すっごい悲しいンゴ…」
彡(゚)(゚)「一句詠んだろ」
パッと思いつかないんやけど、何がそんな流れやったっけ?
>>5
作者「娘が死んでしまったンゴ・・・悲しいンゴ・・・」
作者「せやから娘のつもりになって紀行文書いたろ!」
当時の人からするとツイッターで呟くようなもんなんやろな
>>4
想像したらしっくりきて草
>>4
なるほどなぁ
驚いた古文の登場人物「あなる!」
あなる(あ-なる)とは、ラ行変格活用の動詞「あり」の連体形「ある」に、推定・伝聞の助動詞「なり」を組み合わせた古語「あなり(あんなり)」の「なり」が連体形に変化したもの。
dic.pixiv.net/a/あなる
平安時代の貴族は俳句詠むことが平和に繋がると信じてたししゃーない
中世ヨーロッパの信仰みたいなもん
>>7
平安時代の貴族が俳句を詠む???
そらもびっくりやな
旦那の浮気を手伝う妻の心情なんかわかるわけないやろ
ぶっちゃけたまにええやん!って思う恋の歌あった
子供が波に流されたンゴ
親不知 子はこの浦の 波枕 越路の磯の 泡と消え行く
親不知(おやしらず)は、新潟県糸魚川市の西端に位置する崖が連なった地帯である。
親不知と子不知に分かれるが、この2つを総称した名称も親不知である。
「親不知」の名称の由来は幾つの説がある。
一説では、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であることから、とされている。
また、以下のような伝承もある。
壇ノ浦の戦い後に助命された平頼盛は越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていた。
このことを聞きつけた奥方は、京都から越後国を目指して、この難所に差し掛かった。
しかし、難所を越える際に、連れていた子供が波にさらわれてしまった。
その時、次の歌を詠んだ。
親知らず、子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消え行く
以後、その子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになった。
これらの伝承を基にしたものに、合唱曲『親しらず子しらず』(山本和夫作詞、岩河三郎作曲)がある。
https://www.youtube.com/watch?v=tkm0nVdwioY
https://ja.wikipedia.org/wiki/親不知
>>15
ガチ泣きしてる子供をホームビデオで笑いながら撮ってる親思い出した
清少納言の伏見稲荷神社にお参りに行っただけでバテて自分の情けなさに涙が出てきた
みたいな話はワロタ
当時の皇后・藤原定子[長保2年(1000)崩御]のそば近く仕え、才媛の誉れ高かった清少納言は、有名な『枕草子』の中で、初午詣をした時のことを次のように記しています。
「2月午の日の暁に、稲荷の社に詣で、中ノ社のあたりにさしかかるともう苦しくて、なんとか上ノ社までお参りしたいものだと念じながら登っていくと、もはや巳の時(午前10時頃)ばかりになり、暑くさえ感じられるようになってきて、涙をこぼしたいほどわびしい思いをしつつ休息していると、40余りになる普段着の婦人が、“私は今日7度参りをするつもりです。もう3回巡りましたからあと4回くらいは何でもありませんよ”と、往き会った知人らしい人に告げてさっさと行くのをながめては、誠にうらやましく思ったものである」
http://inari.jp/about/num08/
>>17
基本引きこもりみたいなもんやから体力はないやろな
ひゑ~~~~~wwwwwww
普通に鬼とか妖怪が出てくる姿勢がすきや
平安時代
蹴鞠して和歌読むンゴwww
平成時代
フットサルしてFacebookに上げるンゴwww
昔の男「浮気したンゴ、嫁さんカンカンンゴ...
せや、一句詠んだろ!」
昔の女「ええ歌やし許すンゴ」
百人一首「はあ…叶わぬ恋辛い…殺してクレメンス…」
今のツイッターと言ってること変わらんな
思ひわび
さても命は
あるものを
うきにたへぬは
涙なりけり
道因法師
これほど愛しているのに、あの人はつれない。毎日嘆き悲しんでいても、死にもせずに命ながらえているのに・・涙だけはとめどもなく流れる、つらさに耐えられずに・・
http://kimonolife.cho88.com/hyakuninn.html
今でいうツイッターみたいなもんやろ
喜怒哀楽呟いてるけど
人の不幸ほど好まれたから、自虐ネタが和歌集に多く載せられる
在原業平と言うバカだけどツイッターは上手いイケメン
在原 業平(ありわら の なりひら、825年(天長2年) - 880年7月9日(元慶4年5月28日))は、平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。
六歌仙・三十六歌仙の一人。別称の在五中将は在原氏の五男であったことによる。
全百二十五段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。
代表歌
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くゝるとは — 『古今和歌集』『小倉百人一首』撰歌。落語「千早振る」も参照。
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし — 『古今和歌集』撰歌。
忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪踏みわけて 君を見むとは — 『古今和歌集』巻十八、雑歌下。
から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ — 『古今和歌集』撰歌。
名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと — 『古今和歌集』撰歌。
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして —『古今和歌集』巻十五、恋歌五。
https://ja.wikipedia.org/wiki/在原業平
男が恋の歌を歌ったら最初の返歌は必ず素っ気ない感じにしないとあかんのやったっけ
ぐうまどろっこしい
短カス「君がため 惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな」
百姓A「こいつまたなんかつぶやいてたンゴwwwwww」
百姓B「自分語りくっさ」
百姓C「なお相手はワイの模様」
百姓D「ワイやぞ」
百姓E「命惜しくない定期」
藤原 義孝(ふじわら の よしたか)は、平安時代中期の公家・歌人。摂政・太政大臣・藤原伊尹の三男(または四男)。中古三十六歌仙の一人。子に三蹟の一人藤原行成がいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原義孝
>>29
命惜しくない定期が的を得てて草
人はNTRが好き はっきりわかんだね
防人歌ほんとすこ
もう帰れないという悲壮感が漂ってる
防人歌(さきもりのうた)とは、大化の改新の後、九州沿岸の守りについた防人が詠んだ歌である。
防人は厳しい任務であり、遠い東国から九州までを自力で移動せねばならず、さらにその任務期間中の兵は食糧も武器も各自で調達しなければならない。また、税の免除も行われなかったため極限の状態であった。その様な状況で作られた歌が防人歌である。
例
わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて 世に忘られず
(現代語訳) 私の妻はとても恋しがっているようだ。飲もうとする水に影までもみえていて、決して忘れられない。
唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして
(現代語訳) 唐衣にすがって泣きつく子どもたちを(防人に出るため)置いてきてしまったなあ、母もいないのに
https://ja.wikipedia.org/wiki/防人歌
万葉集のころは和歌は本当に歌だったらしいな
まだ長歌だった時代やな
五七、五七、…、五七、七の形式で、すなわち五七を三回以上繰り返し、最後を七音を加える。『万葉集』に多く見えるが、『古今和歌集』の時点ではすでに作られなくなっている。主に公の場でうたわれるもので、反歌を伴う。
古くは必ずしも五または七でなく、字余り、字足らずになっている場合がある。長歌は柿本人麻呂においてその頂点に達した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/長歌
>>34
歌というか声に出して読んでたんや
国風暗黒時代挟んで古今和歌集以降は紙に書くの前提
>>39
防人歌は文字書けない防人が歌ってた歌を貴族がまとめたって聞いたことあるで
編纂された頃にはまだ仮名文字は作られていなかったので、万葉仮名とよばれる独特の表記法を用いた。つまり、漢字の意味とは関係なく、漢字の音訓だけを借用して日本語を表記しようとしたのである。その意味では、万葉仮名は、漢字を用いながらも、日本人による日本人のための最初の文字であったと言えよう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/万葉集
最古の物語
~やから一大事なんか!分かったで!
場面を変える
~やから一大事なんか!分かったで!
これの繰り返しやで
まー
唱歌は悲しみの中から生まれたともいう品
辞世の歌ってあったしな
秀吉も詠んでたっけか
辞世(じせい)とは、もともとはこの世に別れを告げることを言い、そこから、人がこの世を去る時(まもなく死のうとする時など)に詠む漢詩、偈、和歌、発句またはそれに類する短型詩の類のことを指す。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」 - 豊臣秀吉
https://ja.wikipedia.org/wiki/辞世
>>40
あれどういうシステムなんやろな
実際は死ぬどれくらい前に詠んだんやろか
>>41
インスピレーション系とストック系はあったよな
>>41
わからない
本当にそうだとしたら、現代から見れば暢気に見えるけど
十返舎一九は爆笑するけど
「此の世をば どりゃお暇(いとま)に せん香の 煙とともに 灰 左様なら」 - 十返舎一九
https://ja.wikipedia.org/wiki/辞世
でも昔の人は自分語りで炎上しないから楽やな
>>44
匿名性が無かったから叩きたい奴も怖くて何も言えないんやで
>>47
なるほどなあ
今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん
あらかじめストックしとかないとこんなことになる
辞世の句と聞くとナイトスクープのレイテ島からの手紙思い出す
https://www.youtube.com/watch?v=ERqsXtU5m4Q
貴族やけどアホすぎてどうしようもない奴とかおったやろうし
ゴーストライターとかおったんやろなぁ
マジヤバイ
春とかマジヤバイ
雀とかもマジヤバイ
当時は写真とか無かったし
残したいものは韻踏ませて短くして覚えやすくするしかないものね
漫画で覚える古文・古典のほうがおぼえやすいなあ
貴族「あの子可愛いンゴねぇ…」
貴族「よっしゃ!夜その子の寝床に行くンゴ!」
夜這い(よばい)とは、夜中に性交を目的に他人の寝ている場所を訪れる日本の風習。
古代日本の夫婦関係は妻問い婚であり、男女はそれぞれに住んでいて妻の元へ夫が通ってゆく形態であった。結婚というのは、家族に隠れてこっそりと夜這いを行うのではなく、堂々と通えるようになることを意味した。
そもそも各地の共同体(ムラ)においては一夫一婦制と言う概念も希薄で、重婚、夜這いは当たり前であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/夜這い
>>55
断るかどうかは女が決めてたらしいで
赤松啓介の『夜這いの民俗学』(1994年)によると、夜這いについては、時代や地域、各社会層により多様な状況であり、共同体(ムラ)ごとの掟に従う必要はあったが、夜這い相手の選択や、または女性側からの拒絶など、性的には自由であり、祭りともなれば堂の中で多人数による「ザコネ」が行われ、隠すでもなく恥じるでもなく、奔放に性行為が行われていた。
ただしその共同体の掟に従わねば、制裁が行われることもあった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/夜這い
>>55
あんまりガン見できるチャンスってなかったんとちゃう?
可愛い子がいるって噂を聞く→夜這いするってイメージもあるなぁ
貴族「あの子絶対かわいいンゴ!夜這したろ!」
貴族「ブサイクだったンゴ…」
夜這いしに行ったら間違えて目当ての女の妹の部屋に入ってしまったとかそういう話もありそう
>>60
嵌められて病気の姉妹に夜這いさせるように仕向けたなんてのもある
道長「息子がいないンゴ」
皮の聖「出家させちゃったンゴ…許してクレメンス」
道長「ええんやで。寧ろワイの方が息子のことをわかってなかったンゴ」
道長妻「いいわけねぇんだよこの野郎!」
『栄花物語』(えいがものがたり)は、平安時代の歴史物語。仮名文。女性の手になる編年体物語風史書。
うたがひ - 道長が54歳で出家、法成寺造営。
https://ja.wikipedia.org/wiki/栄花物語
赤松啓介「近所のおばさんがチンコさわってきてコタツに誘ってくれた」
『夜這いの民俗学』とかいう天下の名著ほんとすこ
赤松 啓介(あかまつ けいすけ、1909年3月4日 - 2000年3月26日)は日本の民俗学者。本名は栗山一夫。
1990年代から、長らく絶版だった著書が再刊され、大月隆寛らを中心に再評価されはじめた。その研究によると、低年齢における性行為は昨今始まったものではなく、実際には昔から低年齢での経験が多かったとし、近年叫ばれている性の低年齢化にはあまり根拠がないと考える人達に支持されている。戦後に実際、夜這いの経験をしており、一エピソードとして著書に記している。
ただし、性風俗の歴史を研究主題とする小谷野敦は、赤松が説く「夜這い」が上野千鶴子らフェミニストによって、あたかも、理想的な「フリーセックス」であるかのように受け取られた風潮を批判し、女性から見れば多くが一方的な性暴力に近い行為であったと論じている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/赤松啓介
赤松「当時小作農の家は、だいたいが四間程度で、娘はたいがい奥に寝かされていた。
親父も嫁も自分たちが夜這いしながら大きくなってきているのだから、
娘のところに夜這いが来るのは当たり前と思っている。
男は裏戸をそおっと開けて忍び込み、おっさんやおばはんが無粋な恰好で眠りほうけている脇を通って
娘のフトンにもぐり込んで、させて、と行くわけだが、帰りがけにおばはんともやってくるということも起きる。」
本物の体験談はやっぱ違うわ
>>66
相手を間違えたどころか自ら進んでおばさんを相手にするスタイル
>>67
経験者の方が上手いからね
でもうまいことすればおじさんとも・・・
言霊信仰もあったからなあ
言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。清音の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のこと。その法則についての学問を言霊学という。
声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。
日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。
『万葉集』(『萬葉集』)に
「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。
これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。
漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/言霊
知る、知らしめすが支配を意味したように女の子の名前を知る行為がかなり重要視されてたしな
今でいう電話番号レベルなんかな
学生時代にこういう発想で読みたかったンゴねぇ…
漏らした時の一句
「ヒマすぎて寝るくらいしかする事ないンゴ、せや一句詠んだろ」
「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む」
柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。
また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。
万葉仮名
足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿
平仮名
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
訳
夜になると谷を隔てて独り寂しく寝るという山鳥の長く垂れた尾のように、長い長いこの夜を、私は独り寂しく寝るのだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/柿本人麻呂
Twitterに書くようなもんやろ
何回Twitterに書くようなもんって言ってんのや
女のすなるブログといふものを俺もしてみむとて、するなり。
>>89
ムスッメを失った悲しみの吐露やぞ
土佐日記
紀貫之
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000155/files/832_16016.html
『土佐日記』(とさにっき)とは、平安時代に成立した日記文学のひとつ。
紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を虚構を交えて綴ったもので、成立は承平5年(935年)頃といわれる。古くは『土左日記』と表記されていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/土佐日記
日本人劣化しまくりとか言われてるけど昔からこんなんだったんか
>>90
千年単位の変態で有名やからね、仕方ないね
>>94
日本人は立派に伝統を受け継いどるね(白目)
どうでもいいけど一首ちゃうんか?
紀貫之の親「ムスッコが悪い病気にならんように阿古久曽(ワイの息子は糞ったれ)って名付けたろ!」
紀 貫之(き の つらゆき)は、平安時代前期の歌人。
『古今和歌集』の選者のひとり。また三十六歌仙のひとりでもある。紀友則は従兄弟にあたる。
紀望行の子。幼名を「内教坊の阿古久曽(あこくそ)」と称したという。
貫之の母が内教坊出身の女子だったので、貫之もこのように称したのではないかといわれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/紀貫之
「ひゑッ!神社の前素通りしたら乗ってた馬死んだやんけ!」
「謝る代わりに一句読んだら生き返ったンゴwwww」
紀貫之は和歌の道に関わる者として、まだ住吉大社、玉津島神社にも参詣していなかったので、只今思い立って紀伊路に向かうところであった。
旅の途中、にわかに日が暮れたとおもいきや、大雨が降ってきて、乗っていた馬が全く動かなくなる。
そこに灯火を持った宮守りが、なにやらこの神社には燈もなく宮守りもだれもいないと嘆きながら現れる。貫之は馬が動かなくなって困っていることを宮守りに話しかけると、宮守りは、それは下馬をしなかったからだという。
貫之が馬に乗っていけない所だったのかと問うと、ここはもの咎めをする蟻通明神の社の神前であり、もしもそれを知ってここを通ったのであれば、命はなかったと言われる。
そうして宮守りの灯火で見ると、たしかに森の中に社がある。貫之は知らなかったとはいえ畏れもせずに通ったことを反省した。そして紀貫之だと告げると、宮守りから神様への手向けに和歌を読むようにとすすめられる。
貫之は今の自分の詠む歌では神慮に叶いますまいといいつつ、「雨雲の立ち重なれる夜半なれば、蟻通とも思うべきかは」と詠むと、宮守りはたいそう面白いと讃え、そして和歌は素直であることが私心なく、良い歌は全てそうであると言った。
今詠んだ歌もそうであるので、これを神が納受しないはずはないという。
そこで貫之が馬を引き立てると、不思議なことに前のごとく歩みだした。
これこそ歌によって神の心が和らいだからであった。
貫之は宮守りに祝詞を奏上してほしいと頼むと、宮守りは祝詞をあげ、そして、そのそも神慮を慰めるのに和歌よりも良いものはないと言った。
さらに和光同塵は神と人が交わる結縁のはじめであり、神の世の七代は人の心も素直であり、欲望もなく、天地が開けしこのかたより舞歌もそうであったと言った。
今の貫之の歌もそうであり、その心を感じた故に仮の姿を現したのだと言って鳥居の陰に隠れると、貫之は宮守りが蟻通明神であったことに気がつき、宮守りの姿はかき消すように消え失せた。
そうして夜が明け、再び貫之たちは旅立って行くのであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/蟻通
>>96
風雅を理解する日本の神々 有能
一大事だって時に最初にやることがまず一句とか
昔の人はメンタルつえーな
目の前で火事がおこったり事件が起こってもまず一句なんやろか
>>82
臨兵闘者 皆陣列在前の精神やぞ
>>82
一大事の時とりあえずスマホで写真とるみたいな感覚なんやろか
>>85
人類成長してねえな
66歳、頑張って勤め上げた途端に「無職」って… マツコ「違う呼び方をつけるべきだよね」
【動画あり】映画会社のロゴが映画の内容に合わせてアレンジされてるのって
【画像あり】麗子「チャンネルは回さないでねぇーん」ブルンブルンッ
【画像】モンスターハンターの最新作の新情報wwwwwwwwwww
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コメント
2.気になる名無しさん2015年10月20日 05:11 ▽このコメントに返信
>>千年単位の変態で有名やからね、仕方ないね
くっさ
3.気になる名無しさん2015年10月20日 05:16 ▽このコメントに返信
光源氏「おっ隙間あるから家の中覗いたろwwwwあの幼女将来めっちゃかわいいやんけ(感激)」
とか
帝「命婦のおとどとかいう猫のこと食べようとしたの?!そこの犬処分しとけ」
くらいしか記憶にない
4.気になる名無しさん2015年10月20日 05:25 ▽このコメントに返信
ひゑ~で不覚にも笑ってしまった
5.気になる名無しさん2015年10月20日 05:31 ▽このコメントに返信
一句やなくて一首やろ
詩歌は受験でやらんから仕方ないんか
6.気になる名無しさん2015年10月20日 05:44 ▽このコメントに返信
※5
連歌やってんだろ
7.気になる名無しさん2015年10月20日 05:46 ▽このコメントに返信
国語の授業でもいうが
「作者は何を伝えたいか」
を把握することが重要。
古文だって同じ日本人が作ったものだもの。
昔の作者が何を伝えたかったのかを知ろうとすればいいだけ。
昔の言葉なのでちょっとそのままでは読めないのが難点だけども、
大抵のものは現代語訳してくれてるからな。
普通に読めば面白いと感じさせるものと出会える。
作者も「これ面白いだろ?」というような気持ちで他人に伝えるために書いたはずなんだから。
8.気になる名無しさん2015年10月20日 06:00 ▽このコメントに返信
すっげー綺麗な文とかあるよね。古文とか関係なくなるくらい。
9.気になる名無しさん2015年10月20日 06:03 ▽このコメントに返信
ツイッターで呟くようなもん
10.気になる名無しさん2015年10月20日 06:04 ▽このコメントに返信
正直、俺は和歌や古文の「綺麗さ」とか「うまさ」がまったくこれっぽっちも理解できない。
紀貫之や藤原定家などが何を評価して「うまい」「下手」と言ってるのかさっぱりだ。
11.気になる名無しさん2015年10月20日 06:28 ▽このコメントに返信
俳句と短歌の区別がついてないのが結構いて笑える
12.気になる名無しさん2015年10月20日 07:15 ▽このコメントに返信
ゑの音はうぇだからひゑーはおかしいだろ
13.気になる名無しさん2015年10月20日 08:34 ▽このコメントに返信
ツイッターでつぶやくようなもんっての見てスゲー納得した
なんだ現代人も平安人も大差ないやんけ
14.気になる名無しさん2015年10月20日 09:15 ▽このコメントに返信
何年か前はブロガーって言われてたのに
今はツイッターなのか
15.気になる名無しさん2015年10月20日 09:36 ▽このコメントに返信
普通に考えてツイッターにこんな綺麗な表現ないでしょ
16.気になる名無しさん2015年10月20日 10:21 ▽このコメントに返信
※15後世まで伝わってるのは良いやつだろうけど
大したことないのもたくさんあったと思うぞ伝わってないだけで
17.気になる名無しさん2015年10月20日 10:50 ▽このコメントに返信
つくづく日本の文化って恐ろしいな
18.気になる名無しさん2015年10月20日 11:34 ▽このコメントに返信
ツイッターから面白い書き込みをまとめたものが後世まで残ってる
まとめサイトってすげーな
19.気になる名無しさん2015年10月20日 16:20 ▽このコメントに返信
Twitter言うけど、短歌とかってめっちゃムズイで。
ルール多すぎや
20.気になる名無しさん2015年10月20日 19:51 ▽このコメントに返信
中国の唐の時代のエリートはあいさつ代わりに即席で詩を読まなあかんったらしい、ハードル高杉
21.気になる名無しさん2015年11月04日 13:30 ▽このコメントに返信
漢詩は韻ふんだり色んな意味かけたりもっとハードル高そう
22.気になる名無しさん2017年12月15日 11:06 ▽このコメントに返信
Twitterでセンスある感じのツイート定期的にしてフォロワーめっちゃいるやついるやん
それと古文の有名な歌詠みは同じ感じなんだろなー
暇な女子大生とかあそこらへん
23.気になる名無しさん2017年12月15日 11:10 ▽このコメントに返信
ホントは涙なんて流してないけど大袈裟に書いてたんやろな
そう思うとホンマTwitterやな
24.気になる名無しさん2018年02月27日 01:28 ▽このコメントに返信
当時の嘘松率すごい高そう。
1.気になる名無しさん2015年10月20日 05:04 ▽このコメントに返信
古文て聞くと固く見えるけど
あんがいツイッターみたいながんじなのか