「安全な牛乳」への道のりは遠かった

 「牛乳の中に生きたカエルを放り込んでおくと、牛乳が腐らない」という言い伝えがロシアにあるが、これはまったくのでたらめというわけでもなかったらしい。

 近年の研究で、カエルの皮膚は抗菌性ペプチドの宝庫であることが明らかになってきた。なかには、病院などで悩みの種になっている病原菌(たとえばメチシリン耐性黄色ブドウ球菌)に対抗する力を持つペプチドも含まれる。つまり、牛乳の中のカエルは、牛乳の保存に有効な手段だったのかもしれないのである。

殺菌中の牛乳(写真:REBECCA SIEGEL)

成人の多くは牛乳を消化できない

 古来、人々は牛乳を飲むために大変な努力をしてきた。
 そもそも人間は牛乳を飲むようにはできていない。乳に必ず含まれる糖質の一種、乳糖(ラクトース)は、ラクターゼという酵素によって分解・消化されるが、ほとんどの人間の体内では、乳児期を過ぎるとこの酵素が作られなくなる。そのため、世界の成人のおよそ75%は牛乳を消化できない。

 ラクターゼを失うと、乳糖は人体に害を及ぼすようになる。人間はよちよち歩きを始めるまでに乳を卒業し、次のものへと進むべきだと、自然生化学的な手段を駆使して私たちを促してくれるのだ。「牛乳なんて赤ん坊の飲み物。大人になったらビールを飲むもんだ」というアーノルド・シュワルツェネッガーの言葉は、それほど的外れでもなかったということだ。

 ミルクを“飲める”人たちにとっても、まだまだ道のりは険しい。モンゴル人は馬の乳、ベドウィン族はラクダの乳、ラップ人はトナカイの乳を飲むけれど、何より多く消費されるミルクは牛乳である。ところがその牛乳、20世紀になるまでは危ない飲み物だった。

 18~19世紀には家畜の牛から搾った乳を飲んで死ぬことが多かったのだ。米国中西部では何千という人がミルク病にかかった。リンカーン大統領の母、ナンシー・ハンクスもその一人。いたるところに繁茂するマルバフジバカマという雑草を、放牧された牛たちが食べることが原因だった。この植物に含まれる神経毒トレメトールは、牛には無害だが、これが混入した牛乳を飲んだ人間は死ぬこともある。