9月10日土曜日、青春18きっぷ有効期限最終日。そして手元には1回分の余り。どこに行こうか迷った末、成田に向かうことにする。行きたいところがあるのだ
横浜から6時32分に乗った快速エアポート成田は、2時間15分かけて空港第2ビル駅へ。ここから歩いてある場所に向かうつもりなのだけれど、案内版はどれも空港の空港としての案内であって、空港の外に向かう道案内は何もない。とは言え、成田であるからそこらじゅうに駅員も職員も警察官も山のようにいるわけで、道を聞けばいいではないかと思うだろうけれど、なんというか、ものすごーく聞きにくい場所なのである
ひとまず地下から1階に出て、方向的には北だろう…と北に向かえば、そうか、第2ターミナルから北には、LCC向けの第3ターミナルが出来たのだった。ひとまずはそちらに向かってみよう。
第3ターミナルは第2ターミナルから600m以上。無料送迎バスもあるみたいだけれど、とりあえず歩いてみる。なるべく金をかけずに作りました、ということが、ありありとうかがえる、長い長い通路が通じている。そして
暑さ対策に設置された、ヒマワリのレプリカから水蒸気を噴霧する機械が、マッポー感を存分に醸し出している。それにしても、遠い…
ようやくたどり着いた第3ターミナルは、あまりお金を掛けないけれど小奇麗に作ってみました…みたいな遠慮がちなものではなく、このたてものはおかねをかけていません!!!と全力で叫んでているような、とても潔い建物だった
でも、ま、フードコートはリーズナブルそうだし、LCC向けの割り切りとしては良かったんじゃないでしょうか
春秋航空ショップもあったぞ。メイン商材はチーバくんだったけど
さて、本日の目的地はここではない。とにかく空港の敷地から出たいのである。第3ターミナルの入口まで引き返して、見回してみると、外に向かえそうな緑の通路が
たくさんの警察車両に囲まれながらずんずん進めば…
やった、脱獄できた!ちゃんと歩いて出られるんですね、良かった。空港から一歩出ると、いきなり神社があるあたり、良い感じです
この神社を横目に、空港の北辺に沿って、ほんとうにチープな造りの第3ターミナルを眺めつつ進めば
東横インが見えてきて、増築工事中の東横インの前から、さらに田舎っぽい道に迷い込む
こんな道をどんどん進むとですね、おっ、おお
闘争の最前線だ…。そこらじゅうに立ちまくる看板、フェンス、そういうものが、ただならぬ雰囲気を醸し出している
そこに、今回の最初の目的地、東峰神社がある
なんというか、素敵な参道ですね…
この参道をずんずん進むと、神社が見えてきて
なんということはない、普通の神社なのだけれど、ややあって轟音が聞こえて、直上を飛行機が着陸していく。大迫力、すごい
この神社、とんでもない場所にあるんですね
成田空港は大変な闘争の末に開港したけれど、開港当初に当初計画通りの土地を買収、収容できたわけでは毛頭なく、開港時の滑走路が1本。その後、長い時間をかけて2180mのB滑走路、所謂「並行滑走路」ができ、その滑走路も2500mに拡張された。今世紀の話だ。
その過程で空港周辺に残るたくさんの農地を空港が手に入れていったわけだけれど、この東峰神社がある場所はB滑走路の南端にあり、この神社と東峰地区を手に入れない限り、滑走路をこれ以上伸ばすことはできない。
空港にとってみれば、B滑走路の3500m延長は空港機能的に至上命題であり、そして一方で、この東峰周辺、そして東峰神社とも、空港を巡る闘争で非常に重要な意味を持つ場所でもある
自分がこの場所を最初に知ったのは、東京都写真美術館の展覧会で見た、ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニ『成田フィールドトリップ』だった
高いフェンスで囲まれた道路と、その先にある神社が強く印象に残っており、いつかは来てみたいと思っていたわけ。この場所、以前は職質必須であったらしいけれど、今はそんなこともない。なんか怪しげな行動を取ったら警察官飛んでくるだろうし、空港からここに至る経路を空港内の警察官に聞きたくなかったけどね。
ちなみに、東峰まではちゃんとバス路線もありまして、千葉交通バスは空港第2ターミナルから『新田』へ、千葉市のコミュニティバスは成田駅から『東峰』へ、それぞれ通じているんですが
なにしろ本数が少ない(1日5本!)。第3ターミナルから歩いても25分くらい、歩く道道もとても興味深い場所なので、是非歩いてみるべきでしょう。神社から空港に戻って歩いていったら、警察車両が10台近く、追い抜いていきました。
また空港に戻り、第2ターミナルに向かう道を歩く。第2ターミナルの北側に隣接して、北ウェイティングエリアというところがって
早朝深夜便のLCC等に乗る前に滞在できる休憩場所だそうな。広くて椅子もたくさんあって充電とかトイレもちゃんとあるし、セブンイレブンも近くにあるしWi-Fiもあって快適だけど、深夜は満員なんだろうな。
さて、第2ターミナルの鉄道駅から、また電車に…は乗らない。駅の出口改札付近に、不思議な通路が口を開けている
大勢の空港利用客の進む道から少し離れて、このぽっかり開いた口を進むと、その先に、おおお…
凄い地下通路。ひたすら500m進んだ先にあるのは、京成の東成田駅
JRが成田空港に通じるまでは、ここが成田空港駅と呼ばれていたのだけれど、今では空港の職員中心に利用される、かなり寂れた駅になっている。改札前には、電車は40分に1本くらいしか無いと注意書き
そして、この駅から南に一駅、芝山鉄道が芝山千代田駅に通じているのです。この区間、Suicaは使えないから、切符を買うしかない
高架から右手に空港を眺めながら、終点までほんの少し
1面しかホームの無い芝山千代田駅から、さらに空港の外周を経て(どこまで行ってもフェンスが高いですね…)
歩くこと20分、『航空科学博物館』にたどり着く
この航空科学博物館、全体的に、展示物がおおざっぱと言うか、無骨と言うか、投げっぱなしというか、趣味の方むけに、がっつり楽しんで見てってくださいよ!という雰囲気が横溢している、素敵な博物館だ…
表には航空機やヘリコプターが無造作に並べられていて、YS-11も内部をご自由にご覧くださいだ
ちょうどこの日は年1回のジャンク市の日で、何をどうしたらいいのかわからないジャンクが大量に売られていた
そして展望台に上がると、空港管制の機器が無造作にたくさん並べられていて
空港を眺めるには素晴らしい場所なのだけれど
さらに素晴らしいのが、ここで実況解説をしている人で
離着陸する飛行機の機体を全部ライブで説明しながら、各部位の製造について日本のどこのメーカーが主に作っているかとか、豆知識とか、管制塔の機能とこの状況で何をしているのかとか、超ガチなありとあらゆる解説をしてくれる、素晴らしい。
『このフェデックスの貨物便、すぐに離陸しましたね、アメリカに向かう場合は燃料を大量に積んでいますのでこんなに早くは離陸しません、おそらく日本で荷 物を降ろしてアジアに向かう便でしょう』みたいなことをずっと喋りつづけている。その合間に、着陸した747へのパドルの指示内容を解説したり、貨物機に近づいてくる車両の全解説をしたり、滑走路整備者に乗ってるのは元管制官が多いです、と説明したり。
787のエンジンはサポート込みで1つ40億円するそうですよ。あと、JALの787と、ANAの787はエンジンのメーカーが違うとか、787の翼は日本メーカーがメインだけど一部だけ大韓航空が作ってるとか、勉強になりますね。
どんだけ引き出しあるんだろう、いつまでも聞いていても飽きない。この方は博物館の主任学芸員の金田さんと言う方で、土日を中心に昼ごろ、実況をやっているらしい。これを聞くだけでも行く価値のある場所だと思った
博物館をすっかり堪能して、しかしもともとはこちらが目的地のはずだった、目の前にある『空と大地の歴史館』へも
成田空港闘争の歴史を扱った資料館。闘争の両方の声を反映した展示ですね。中は撮影禁止ですが、ヘルメットとかドラム缶とかバルーンとか毛沢東語録とか当時の闘争を物語る物証てんこ盛りだし、解説も多面的で非常に面白い。団結小屋マップとかあってすごい。
成田闘争では地元の開拓民が老いも若きも反対闘争に加わり、例えば少年行動隊、これは北井一夫が撮影した写真が有名だけれど
この少年行動隊は当時の少年ジャンプにも好意的に取り上げられていたくらいなんで、 日本中の一般庶民からも心情的にかなり支持されていたんでしょうね。土地を奪られる悲しみ。そのような、心情的背景にもよく配慮された展示内容だと思いました。小川プロの三里塚を扱った映画なんかも、言及が多かったね。とにかく、来て良かった。
そろそろいきましょう。13時10分のバスに乗って、空港へ。その途中で木の根ペンションという看板が見えて、あ、まだ泊まれるのかな。これも、空港のど真ん中にあるんだよね…
ほんと、空港利用するだけだとわからないけれど、周辺を巡ってみると、成田の闘争はいまだ終わらず、なのでありました。
空港からまた電車を長々と乗り継いで、武蔵小金井駅へ。バスに乗って、府中市美術館に向かう
『画家・新海覚雄の軌跡』を見る。
常設展特集「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡」 東京都府中市ホームページ
社会的リアリズムで内灘、砂川闘争、そして労働運動を多く描いた画家の大規模回顧展。労働者、農民に寄り添い、力強く描かれた人々の姿に圧倒される。労組の宣伝ポスターもとても良い。
今回の新海覚雄展、70点出展されていますが常設の1コーナーの扱いで入館料は200円。当然、図録も出ないので、なんとパンフレットに全作品のカラー図版が載っているのだ。
開催に紆余曲折があったことは既報だけれど、企画者の並々ならぬ意欲が感じられる。
国労所蔵の構内闘争を描いた大作、立川市歴史民俗資料館所蔵の砂川闘争に参加した人々を描いた力強いスケッチ(この顔が素敵に良いのだ)、ご家族蔵の砂川スケッチ、都現美所蔵の内灘スケッチ。
そして、板橋区立美術館所蔵作品としては、ある意味戦争画である『貯蓄報国』は広島で開催中の『1945年±5年』展に出しているものの(わたしは兵庫でこの展覧会を見たが、素晴らしい内容だった)
それ以外にも板橋区立美術館所蔵の作品は多数展示されている。法政の研究室所蔵の労組ポスターや反戦反核運動のリトグラフの数々も…よくこれだけ集めたなと。
福富コレクションが数点あるのも面白い。個人的に、福富太郎は新海覚雄と交友があったとか。中でも、米兵と女性が戯れるのを背景にじっとこちらを見つめる戦災孤児を描いた「独立はしたが」は、キャバレーで身を立てた福富太郎にとっての原風景であり、社長室に飾られていたとか。
とにかく、美術史的にも、社会運動的にも面白い展覧会だった。労働運動ポスター、この人の作品とは知らずに見覚えのあるものもあった。会期中には砂川闘争の記録映画上映などもあったらしい。自分は東京国立近代美術館で見ましたね
会期終了間際だったけど、来てよかった展覧会だった。
現在から見ると成田空港を巡る闘争は新左翼が暴れただけに見える人も多いだろうし、実際、新左翼が暴れていたのは確かなんですが、砂川闘争から地続きで見ていくと、根底で農地を奪われる農民の哀しみ、あるいは土地収用を巡る政府の手続きのよろしくなさという、地に足の着いた構図が見えてくると思います。
閉館ギリギリまでいて、美術館を出て、また武蔵小金井に戻る。そして国分寺へ一駅
国分寺のswitch point『百瀬文 山羊を抱く/貧しき文法』を見る。
百瀬文らしい、重層的な文脈の転倒がある…ような、一発ネタが滑った感もあるような…。えー、どうなるんだろ、と思ってドキドキ見てたら、えっそんなオチなの!みたいな。なんとも言えない感じでありました。食用色素で描いた獣姦の絵を山羊に見せている図がシュール
さて、時間はそろそろ18時。このあたりで本日は引き上げましょう。電車を乗り継いで、いろいろ見た今日一日を噛みしめながら、帰宅し、自宅で広島優勝の瞬間を見たのでした。おめでとうございます。ベイスターズもCSに行くぞ。