弱冠35歳で横浜DeNAベイスターズの社長になってから5年目のシーズンを過す池田純社長(40)。就任時(2011年)には24億円の赤字だった同球団を5年で黒字に転換させた。観客動員数も110万人から190万超に拡大。スポーツ界を越えて財界からも経営手腕が注目されている。

横浜DeNAベイスターズの球団社長に就任した時(2011年12月)、経営状態はかなり悪かったそうですね。2011年は売上高が52億円で、赤字が24億円とうかがっています。「お前、大丈夫か。負け試合じゃないのか」と当時の師匠から言われたそうですね。

横浜DeNAベイスターズの池田純社長
横浜DeNAベイスターズの池田純社長

池田:でも私はいけると思っていたのです。球場をお客様で満席にするのがプロ野球ビジネスの根幹です。当時は稼働率が50%を切るくらいでしたから、全試合を満席にし、さらにグッズ購入や飲食など1人あたりの支出を増やせれば、売上高を確実に2倍以上にできるポテンシャルがありました。

 しかも横浜のマーケットは大きい。横浜に住んでいたので、地元の人たちの気質を少しはわかっていたつもりですから、「行ける」と思っていました。横浜球場は私が生まれた病院の並びです。

35歳でプロ野球の球団社長に就任された。自信はありましたか。

池田:実は、売上高が数十億円規模の会社の社長は今回が2度目なのです。NTTドコモとDeNAの共同出資会社で社長をやっていました。そこでも勝負し、確実に結果を出しました。

 野球は好きだし、横浜のためだったらできるかもしれないと思って、経営陣に「全権をください」と話をしました。でも、実はその時、球団社長って何をするのか知らなかった(笑)

「全権をください」という言葉はサラリーマンからは出ないものです。飛躍がある。それは、積み上げてきた自信があったからでしょうか。

池田:経験と自分の力を総合的に判断した結果です。あとは感覚でしょうか。企業の再生には以前に何度もかかわった経験がありました。

ベイスターズはずっと赤字だった会社です。しかもチーム成績も低迷していた。それでもやろうと思った?

池田:経営状態がずっと良くないことは聞いていました。ただファンを増やしていくビジネスです。これはマーケティングそのものです。また、地域の人たちや自治体の人たちと、寝技というほどのものではないですが本音と熱意で信頼を勝ち得ながら、自分の持っている経験と知識を総動員すれば、勝てる可能性の方が高いと踏みました。

失敗するとしたら、どういう状況だと思っていましたか。

池田:小池都知事が改革を掲げた時、都議会とのあつれきを挙げていました。何かを変えようとすれば、あつれきは必ず生まれると思います。そこで私が外されたり、改革を断念しなくてはならない事態は起こり得るかもしれないと思っていました。

水泳での経験が自信の源泉に

池田社長が自信家であることには気付いています。その自信はどこからきていると自己分析しますか。

池田:幼稚園の時にスイミングスクールに通いだしました。水泳が自分に向いていたようです。他の子供たちと同じ練習だけしていてもドンドン速くなる。やればやるほど速くなったのです。

確か日本一になった経験もあるのですよね?

池田:小学校6年生の時には、ジュニア五輪の決勝に残るくらいになっていました。50メートルと100メートルの自由形では、神奈川県大会で常に表彰台に上りました。全国大会で決勝に残るレベルにはなっていた。

 しかし全国大会では1番になれなかった。2位、銀メダルが最高。心身両面で決勝の時にピークにもってくることができなかったのです。外国人選手は高校生でも身長1メートル90センチ代の選手がどんどんレースに出てきていました。勝てない。高校1年時に腰を痛めたこともあり、限界だなと思ってスパッと辞めました。

以後はコンプレックスを抱えたのですか?

池田:「スポーツ選手で1番になれなかったから、あとは社長になるしかない」とその時思いました。でも大学を卒業するまでは目一杯遊ぼうと思って、高校3年からサーフィンを始めました。今でもやっています。

仕事と遊びの両方を目一杯やるというタイプなんですね。

池田:母親は私をしっかり育てようという意識がありました。きちんとした人間に育てたかったようです。ただ父親は釣りが好きだったんです。サラリーマンをしながら、自分の楽しみもちゃんと持っていました。海外にサーモン釣りに行って、しばらく帰ってこないこともありました。

父親からの影響をかなり受けたということですか。

池田:働きながらしっかり遊ぶスタイルは、影響を受けていると思います。男というのはそういうものかなと思っていましたから。いまでも私がサーフィンをやっているのはそういう背景があるのだと思います。自分を解放できる瞬間を会得しているのだろうと思います。

まずは野球を知る

社長として、「これは思っていたのと違うぞ」とか「やはりそうか」と思ったことは何でしたか?

池田:仕事が長年メンテナンスされていない会社だろうとは思っていました。個人のパソコンもメールアドレスもありませんでした。社内ではタバコが吸われていましたし、セキュリティーがしっかりしていないので、知らない人があちこち歩いていました(笑)。会社の経営がしっかりしていないといけない。組織もしっかりしていないといけない。そうでないとチームの成績は低迷してしまいます。

社長として、やることに順位をつけながらやっていったのですか。それとも1度にいろいろと取りかかったのですか。

池田:いろいろやらなくてはいけなかったです。

 初年度は、まず野球を知る必要があった。百貨店をやっていて扱っている商品を知らないということはありえない。ですから高田繁さん(ベイスターズのゼネラルマネジャー)に質問しまくって、共通言語を身につけました。それから、仕事の内容がわからないといけないので、全社員と面接をしました。それが最初。

売り上げを上げようと思っても、データとなる数字がなかったらしいですね。

池田:球場に来ていただいたお客様についての数字は何もありませんでした。集計するシステムもなかった。ですから調査員やアルバイトを雇って、観客数とか年齢層とか、取れるデータをすべて集めました。

 そして自分の感覚と合わせていったのです。たとえば、こういうイベントをすると500人くらい増えるとか、雨だとこうなるとか。そうやって数字を把握していきました。

大きな仕掛けを打ち出して一気にボーンと満席にするということではなかったわけですね?

池田:そうです。すべてが積み重ねです。例えば、ずっと試合を観ていると、イニングとイニング間に多くの方がトイレに立つことがわかる。観客がずっと座っていれば、ビールが売れる時間も長くなる。イニング間を楽しくすればリピート率も上がる。既成の概念を超えて考えることができれば、イニング間をトイレタイムにさせないで、楽しんでいただく方法を考える――という答えがでる。それを社員に伝えるわけです。

 ただ1年目からそれが分かっていたわけではなく、2年目くらいから分かり始めました。 初年度は観客を無理やり踊らせようとするとか、イベントの質が低かったんです。毎年、いろいろなイベントをやり検証を続けることで、ようやく球場全体が盛り上がるイベントを作れるようになりました。

お客様を知る

「アクティブ・サラリーマン」というコンセプトを作りましたね。どういう年代の人たちが球場にもっとも足を運んでいるかを把握して、その人たちのためにイベントをやったわけですね?

池田:データが集積してくると、どういうお客様が来て、どういう層が増えているのかが分かってきました。お客様へのインタビューを繰り返して、サラリーマンであれば、どういう世代で、どういう生活をしている人たちなのか、どれくらい年収があるかを理解していったのです。テレビ番組であれば、どういった番組を観ているのか。外食ではどういう所に行くのか。

 そうすると、□□のプロモーションをしようとか、△△の音楽を球場で流そうということになります。

いろいろ試したと思いますが、これまでで最もダメだったものは何ですか?

池田:試合に満足がいかなかったらチケット代を返金しますという試みですね。初年度だったので、新しいことをやり続けないといけませんでした。

どうなりました?

池田:お客様は全員が返金を求めてきました(笑)。話題にはなりましたけど。今だったら絶対にやりません。でも後悔はしていないです。あれをやったから今があると思っています。

というと?

池田:人はもっと善良で、まさか返金なんて求めてこないと思っていたのです。しかし全員が返金を求めてきた。

 チームからも「選手の士気が落ちるから止めてくれ」と文句を言われました。この一件で経営とチームの関係を学びました。スポーツの試合に経営サイドがどう関与できるのか、その距離感を学んだのです。

 でも今年から、試合の5回が終わった時にお客様2人を球場に入れてフライを捕らせるイベントを始めました。これまでは、お客様を試合中にグラウンドに入れることはタブーであったように思います。でも経営とチームの良好な関係が構築できたので、距離感を圧倒的に縮めることが可能になりました。このイベントは大変盛り上がっています。ベイスターズだからこそできることだろうと思います。

池田社長が過去5年間続けてきた努力を選手や社員が認めてくれたということですか。

池田:私がお客様を大切にして、「球場をお客様でいっぱいにするから、みんな協力してよ」と言い続けてきたことは少なからず効果があったのではないかと思います。経営として結果を出してきた事実は、チームもよく分かっています。餅は餅屋。お互いやらなくてはいけない意識が高くなりますし。

横浜球場のオリジナルビールをつくる

「社員に好かれるマネジメントは会社をダメにする」と言われます。周囲が反対したけれども、自分の信念としてこれは絶対にやりたいといって成功した例はありますか。

池田:いっぱいあります。そんなのばかりですね(笑)。好例がビールです。ベイスターズのビールを作ったんです。周囲の人たちは最初、メーカーと絶対にもめると反対しました。球場内でビールを売る会社は球場に販売ルートをもっていますから。スポンサー料として数千万円もいただいています。衛生面で大丈夫なのかとの声もあった。

 でも私は、「この球場だけで飲めるオリジナルのビールがどうしてないのだろう」と思っていたのです。

いい発想ですね。

池田:たぶん経営者って、そういうものだと思います。ここに本質的な領域があるとか、ここにビジネスチャンスがあるといったことを嗅ぎ分ける力が必要。大成功を収められた経営者の方々には、そういった方が多いのだと思います。周りの人が簡単に理解できることは、他の会社でもできることなんです。

オリジナルのビールを製造すべく、反対を押し切ったわけですね。

池田:最後はみんな合意してくれましたけどね。そして、超一流のものを目指しました。そうでないとお客様はついてきてくれないと思っていましたから。既存のビールのラベルを貼り替える程度では満足してもらえない。

 ですから、まずビールの勉強をしないといけなかった。日本のビールはほとんど飲みましたし、ラベルも研究しました。米オレゴン州ポートランドで地ビールの会社が流行っていることがわかり、ポートランドにいって工場を歩きました。ドイツにも行きました。

 帰国してから、おいしいビールを造れるところを探しました。でも、すぐにはできない。ビールって仕込むのに1カ月以上かかるのです。時間をかけて試行錯誤を繰り返しました。

 2014年のシーズン中に、やっとおいしいビールができました。まず小ロットで「ベイスターズのビールです」と販売しました。そのうち「ベイスターズ・エール」として売り出すと飲んでいただけることがわかった。それでだんだんと製造ロットを大きくしていって、今シーズンから大々的に展開し始めたんです。

 ですから決して思いつきでやったわけではなくて、テストを繰り返して今にいたっています。

ご著書に「野球というつまみでおいしいビールを飲む」というコンセプトが書かれてありました。ある意味では達成できた?

池田:とにかく客席を全試合満席にしたかったのです。全試合満席にするためには、野球を観せるだけではダメなのです。そんな時代は残念ながらもう終わってしまった。お客様が減っていたというファクトもありましたし。

 目標を達成するためには、お客様との接点をどれだけたくさんつくれるかが勝負でした。接点で一番大きかったのがビールだったのです。球場ではみなさん飲みますものね。

経営はコントロールできる

過去5年で、自分としてはやり足りないと思うことと、思っていた以上にできたことを教えてください。

池田:経営の結果を出したという点では皆さんが認めてくれています。選手じゃないので、試合はコントロールできません。でも経営はすべてコントロールできます。2016年に「全試合ほぼ満員」と「黒字」は達成できました。

今後の目標は?

池田:野球がもっと文化にならなくてはならない。横浜という街に、野球を観る“クセ”が芽生えてきた段階だと思います。年間190万もの人々が観に来てくださるようになりました。ただボストン・レッドソックスのファンように、「世代を越えて野球を語る」文化にまでは成熟していない。まだ勝った負けたでお客様が大きく増えたり減ったりしてしまう時代のように思います。

それでも経営者としてはさらなる自信につながったはずです。

池田:どんな業界でも経営できる自信につながりました。ベイスターズで培った手法はどんなスポーツにも応用できると思います。野球だけでなく、他のスポーツにも、学生スポーツにも。これまで金融の経営にも関わりました。メーカー、お菓子、IT、ゲームの会社にも携わりました。どんな業界でも経営できる自信があります。

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