アマゾンがもたらすのは、破壊か創造か──高級スーパーの買収に、果てなき野望の正体が見えた

アマゾンが高級スーパーマーケットチェーンを買収する──。そんなニュースに金融市場も消費者も熱狂している。かつて自らが衰退の道へと追いやったリアル店舗での販売に進出するアマゾンは、果たして破壊者なのか、創造主なのか。その果てなき野望の行く末に、いったいどんな世界が待ち受けているのかを読み解く。
アマゾンがもたらすのは、破壊か創造か──高級スーパーの買収に、果てなき野望の正体が見えた
IMAGE: GETTY IMAGES

アマゾンが高級自然食品スーパーマーケットチェーン「ホールフーズ・マーケット」を130億ドル以上で買収するというニュースに、金融市場は大いに盛り上がった。アマゾンの株価は2.5パーセント上昇し、これは買収額全体の埋め合わせに十分な数字だった。一方、クローガーやウォルマートをはじめとする食料品小売業の株価は約9%急落してしまった。

小売業界全体が縮小傾向にあるなか、今回のニュースによって資本がアマゾンに集中し、消費者が熱狂するという状況そのものが、この会社の実力を証明している。創業者のジェフ・ベゾスが考える「world’s store」、すなわち世界中のどこでも誰もが24時間、欲しい物を手に入れられる世界を目指すという野望に一歩近づいたのだ。

アマゾンは、消費主義という概念までも再構築するような存在である。しかし、果たして「良い」方向に導いてくれる存在なのか、それとも伝統的な小売業の破壊者となって仕事を減らし、ショッピングモールを破滅させ、かつては生産的だった労働者を職にあぶれた消費者へと変えてしまうのか。この点は、いまでもはっきりしないままだ。

いまのような存在になるまでに、アマゾンは20年かかった。ほぼ17年前の2000年6月23日の金曜日、当時有力だった投資銀行のリーマン・ブラザーズから、アマゾンが債務超過の瀬戸際にあるとの警告が発せられた。これを受け、アマゾンの株価は 20パーセントも急落し、手元資金を急速に使い果たした。

当時のアマゾンは半年で時価総額の60パーセント以上を失い、ベゾス個人の金融資産も何十億ドルも消えてしまっていた。それでもベゾスは、創業から10年も経っていない自分の会社が、いつの日かあらゆるものをあらゆる人に販売する存在になることを確信していた。

その頃のアマゾンの時価総額は150億ドルほどで、2002年には50億ドル以下にまで下がっている。しかしいま、アマゾンの価値は5000億ドル近くになった。時価総額だけが将来的な強さを保証するわけではないが(2012年のIBMのように)、少なくともアマゾンに対する金融市場の評価の変化を表していることは間違いない。そしてアマゾンはドローンやデータセンター、スーパーマケットといった具合に、収入の多くを新しい市場へと投資し続けている。

「破壊と創造」をもたらしたアマゾン

厳密にはアマゾンはシリコンヴァレーの企業ではないが、その振る舞いはシリコンヴァレー企業のようだ。ベゾスは長所や失敗の必要性というシリコンヴァレーの人々と同じようなことを話し、「フェンスに向かってスイングする」という決まり文句を好んでいる。またベゾスは、破壊をもたらす支配的な巨大企業をつくりだすことは消費者や世界にとって最終的には良いことであり、商品の価格は下がり、より多くの人々が必要なものを必要なときに手にすることができるようになると信じている。

一方で、伝統的な小売業のようにも振る舞うという点で、デジタル一辺倒なシリコンヴァレーの夢想家たちとは異なる。アマゾンは商品の価格を継続的に下げたり、赤字でも安値で販売したりすることで、ライヴァル店舗の競争力を下げる戦略を採ってきた。結果として競合他社は、人件費や出店コストなどの負担に耐えきれなくなってしまうのだ。

小売業の内なる崩壊が続いている原因は多くある。しかし、この分野の多くの課題を浮き彫りにし、かつて業界を支配していた大手企業数社の“崩壊”を早めたのは、明らかにアマゾンである。リアル店舗は記録的な勢いで閉店が続き、今年に入ってからは8,000店舗にも達した。過去の最高記録はリーマンショックがあった2008年だったが、この年と比べても今年は閉店数が数千件も多い。これらの店舗は計数十万人もの雇用を生んでおり、ネット通販への移行によって失われた職が戻ってくることはない。

果たしてアマゾンは、絶え間なく商品を流通させることで価値を生んでいるのだろうか、それとも、仕事を“破壊”しているという点では価値を損なっているのだろうか。

答えは当然のことながら、その両方である。アメリカ政府は息も絶え絶えの製造業と炭鉱業の雇用に注力しているが、ネット通販全般とアマゾンのほうが、はるかに多くの人たちの職を脅かしている。その一方でアマゾンは、さらに安い価格で手頃な商品を提供できる可能性をも示している。これはまさに、創造的破壊そのものである。

そのメリットは単に「便利」というだけにとどまらない。まず宅配によって、消費者は買い物に行くための時間とガソリン代を節約できる。そしてホールフーズの買収によって、消費者が栄養価の高い食品を低価格で手に入れられるようになれば、健康状態の改善につながり、数十億ドルもの医療コストを低減できるかもしれない。

ユートピア的で、ディストピア的でもある野望の果てに

またアマゾンは、保守的な小売業者や関連する職を根絶やしにするつもりないとの姿勢を示している。ベゾスは、人間の社会的な生活のためにはリアル店舗でのショッピングが重要であることも、わたしたちの生活においてリアル店舗が存在し続けるであろうことも理解しているようだ。だからこそ、ベゾスはかつて倒産に追いやったのと同じようなリアル店舗を展開するスーパーマーケットチェーンを買収し、リアルな書店をオープンしたのだ。

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感傷的な理由で「ショッピングモールの文化を守ろう」というのなら、1970年代に郊外の新興住宅地が急速に発展したことによって、ショッピングモールが生まれたことを思い出してほしい。結果としてアメリカ全土の小さな街や都市が衰退したのである。

郊外型の大規模店やショッピングモールは、古くからある街の小さな店をあっとういうまに閉店に追いやり、地域社会を破壊した。つまり、低価格と利便性の高さで多くの選択肢と優れた品質を兼ね備えた商品を提供する企業が、ショッピングモールを根絶やしにしたことを嘆くべきではないのだ。

ネット通販によって時代遅れになった仕事が、いったいどんな仕事と置き換えられるのかは当然まだわからない。しかし、何が失われているのかははっきりしている。

デジタル化が進んで音声操作で動く“スマート”な住宅では、何かが必要になれば、その商品名を口にすればいい。そうすれば代金が引き落とされ、商品が配送される──。そんなヴィジョンはユートピア的であると同時に、ディストピア的でもある。

こうした変化の頂点にアマゾンが立っているのは不思議ではない。なぜならアマゾンはユートビア的な野望をもつと同時に、競争相手より優位に立ち続けるというディストピア的な発想の両方に突き動かされているからだ。

ホールフーズの買収によって、アマゾンの相反する衝動は、わたしたちにとって身近な領域にも及ぶことになる。すなわち、生きていくうえで必要不可欠となる食品である。この挑戦が成功を収めることになれば、よりよい食事が誰にでも提供されるようになるのだろう。だが、その過程でわたしたちは、受け入れ難い道を選ばざるを得ないかもしれない。

かつてそうだったように、アマゾンが進む道はリスクと混乱、そして動揺でいっぱいになることだろう。だが10年先を見据えれば、より多くの人々の生活の質がかつてないほど向上することになるかもしれない。


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TEXT BY ZACHARY KARABELL