「メッケルの関ヶ原西軍勝利判定」伝説は何故生まれたのか?―戦前刊行のメッケル文献に「関ヶ原」の記述があり、その影響で成立した!?

海音寺潮五郎、司馬遼太郎が創作したとされる「ドイツの戦術家の西軍勝利判定」だが、 A「来日したメッケル教官が、参謀演習旅行を企画し、現地で戦い方を論じた」 B「メッケル教官が出した兵站の問題について、「関ヶ原の戦いではどうだったか…」と日本の陸軍学生が悩んだ」 続きを読む
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

2007年刊行の日本史の概説書(関ヶ原合戦と大坂の役の巻)を読んだら、「ドイツ陸軍の参謀メッケル」とか「問い鉄砲」とか、ふつうに事実として書いてあって、今更ながらにびっくりしました。この10年の間に、奔流の如く、提示される新しい研究が凄い。

2017-09-10 00:41:53

※ 現在の研究では、「メッケルの西軍勝利判定」「小早川秀秋への問い鉄砲」は、どちらも虚構だとされる。

海音寺潮五郎、司馬遼太郎が創作したとされる「ドイツの戦術家の西軍勝利判定」だが、

A「来日したメッケル教官が、参謀演習旅行を企画し、現地で戦い方を論じた」

B「メッケル教官が出した兵站の問題について、「関ヶ原の戦いではどうだったか…」と日本の陸軍学生が悩んだ」

戦前から存在したAとBの故事(別々の話)が、戦後になると「合成」されてしまい、あたかも「事実」であるかのように、ひとり歩きしたと思われる。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

「ドイツの有名な戦術家」(司馬遼太郎はメッケルだと明言)が関ヶ原を見に行き、両軍の配置を聞いて(司馬遼太郎は「配備地図を見た」とする)、西軍(石田方)が勝つはずだと言ったと、小説家の海音寺潮五郎や司馬遼太郎が書いてるとのことですが 戦前・戦中にはメッケルの面白い故事があるので

2017-09-10 11:25:33
巫俊(ふしゅん) @fushunia

dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… ●国会国立図書館デジタルコレクション 『日本陸軍史研究』第2巻、メッケル少佐1944年刊行) 「コマ番号73」をクリック→出たページの13行目に、「関ヶ原役」とある。

2017-09-11 12:42:20

海音寺潮五郎は、明治時代に来日した「ドイツの有名な戦術家」としか書いてないですが、

この1944年の『日本陸軍史研究』序文によると、「メッケルの遺志を忘れてしまったドイツ軍は、第一次世界大戦でひどい負け方をしたが、メッケルの精神は日本の陸軍の中に生きており」と、メッケルを大絶賛しています。

メッケルの実像については、過大評価されているとの説もあるそうですが、海音寺潮五郎の時期には、大有名人だったと思うので、「ドイツの有名な戦術家」はメッケルを指しているのだと判断しました。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

戦前に書かれた軍事関係の出版物を少し読むと、読み物として非常に面白い「メッケル故事」が沢山あり、関ヶ原の戦いと結び付けて紹介する故事もあるようでした。日本に招かれて陸軍学校の教官になったメッケルが、大戦時の兵站について問いを発した下りで、「我が国で大戦といえば関ヶ原だが…はて兵

2017-09-10 03:24:47
巫俊(ふしゅん) @fushunia

とは、何かあっただろうか?我が国の歴史には、兵站の名将というものがいない」といった感じで書かれていました。1944年刊行の『日本陸軍史研究』第2巻、メッケル少佐です。国会図書館デジタルコレクションで全文が読めます。「関ヶ原」が出てくるのは、コマ番号73をクリックしたページです。

2017-09-10 03:29:11
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ただ、一般に言われている「メッケル関ヶ原故事」とは、ほとんど共通点が無くてメッケル少佐の口から「関ヶ原」と出た訳でもなく、大陸に派兵して大戦になったときの兵站の心得を問われた際、あたかも日本側の陸軍の学生の脳裏に「大戦といえば…」と関ヶ原が浮かんだかのように説明調で書かれてます

2017-09-10 03:39:19
巫俊(ふしゅん) @fushunia

よく読むと、その当時の回想に「関ヶ原」と書かれていたとある訳でも無くて、この『日本陸軍史研究』の著者が、読者に分かりやすいように、関ヶ原の戦いをその例示として挙げた、かもしれません。ただ、学生の脳裏に関ヶ原(の詳しい図面等ではなく、漠然とした関ヶ原の物語)が浮かぶのは有り得そう。

2017-09-10 03:43:58
巫俊(ふしゅん) @fushunia

たぶんだけど 「教官のメッケル少佐が「大戦時の兵站」を問い、日本の陸軍の学生の頭に関ヶ原の戦いの情景が浮かんだ」 「メッケル少佐は、参謀旅行を企画し、現地で戦い方を論じた」 という戦前から知られる別々の「故事」が、戦後に合成されて、「メッケルの関ヶ原西軍勝利判定」伝説と化した

2017-09-11 01:18:03
巫俊(ふしゅん) @fushunia

この「メッケルの関ヶ原西軍勝利判定」を、あたかも事実であるかのように言っていたのが小説家の司馬遼太郎です。 それがひとり歩きした結果、関ヶ原の戦いを専門とする日本史の研究者までが、「ドイツ陸軍の参謀メッケルが西軍勝利の判定を出した」と信じるようになった。

2017-09-11 01:24:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

なので、現在では、司馬遼太郎の創作の疑いがあると見られているとのことですが、歴史伝承の成立過程の研究から類推すると、すべてが創作という訳ではなくて、むしろ「伝言ゲーム」の結果、「もっとも、面白く、分かりやすい話」が他の話を淘汰して、広まってしまったということではないでしょうか?

2017-09-11 11:25:49
巫俊(ふしゅん) @fushunia

宴会などで、「一発、メッケルの講義をしてくれ」とか言われた状況を想像して頂ければ良いと思うのですが、故事と故事は簡単に混ざり合い、つなぎわせて話を短くした上で、インパクトが強い話を狙うのも、必然的だと思うんですよね。この辺の「改作の妙」は、『万葉集』の歌にも見られると言われてます

2017-09-11 12:36:32
巫俊(ふしゅん) @fushunia

メッケルの故事はとにかく面白くて、「鉄の船が浮かぶはずが無い」と日本側の学生が断言したので、メッケルが鉄の船を作らせて、川に浮かべて実演した話となど。「兵站」という言葉はフランス式の座学で習っていたが、運用がよく分からないので、メッケルは大行李、小行李を自作することから教えたとか

2017-09-10 03:56:36
巫俊(ふしゅん) @fushunia

関ヶ原に結び付けられた「兵站」の話の中では、「兵站とは、梅干しを集めておくくらいのことだと」思っていたという学生の話があります。

2017-09-10 03:59:05

ついでの話

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hakukei_stars 喫茶店で思い出したのですが、関ヶ原に朝早く行ったとき、昔からやってそうな喫茶店に入ったのですが、モーニングに茶碗蒸しとゆで卵が出てきて、びっくりしたの覚えています。

2016-05-12 10:38:52

「関ヶ原はいつでも見れる」→「いつでも見ない」は戦前から

巫俊(ふしゅん) @fushunia

dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 国会図書館デジタルコレクション(コマ番号145をクリック) ベルギー留学中、古戦場案内を求められ 「ワーテルローは、一生涯二度と見る機会が無い。ぜひ、見たい」 ↓ そういう人は皆、関ヶ原を見る気が無い と戦前の本に書かれてます。

2017-09-10 01:16:06