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将棋界では佐藤康光会長(50)から藤井聡太七段(17)に至るまで、みんな「ひえー」と声に出して驚く

松本博文将棋ライター
(写真撮影:筆者)

「『ひえー』と声にしている人は実際に見たことがない」

 筆者は先日Twitter上で、そんな趣旨の投稿を見かけました。

 なるほど、言われてみるとそうかもしれません。筆者も思い返してみて、世間一般で「ひえー」と言ってる人は、あまり見かけた記憶がありません。

 ただし、将棋界は別です。将棋界ではプロからアマまで、驚く時には多くの人が「ひえー」と言います。実際に声に出して、そう言うのです。ためしにYahoo!で「将棋 "ひえー"」で検索してみると、将棋関係者は年がら年中「ひえー」と驚いていることがわかります。

「将棋
「将棋"ひえー"」で検索した結果

 1月31日、藤井聡太七段-今泉健司四段戦がおこなわれました。

 その藤井七段-今泉四段戦の感想戦でも「ひえー」が聞かれました。

(AbemaTVの映像で10:01:53のあたりから)

今泉「あっちって、でも、飛車取ってったら、詰むんすか?」

藤井「あ、詰みはないと思ったんですが・・・」

今泉「いや、だから(指で盤面の左側を示して)こうしようかと」

藤井「ひえー。でもなんか、角持ってもそちらが・・・」

 感想戦はこんな調子で進んでいきました。藤井七段も驚く時には「ひえー」と声にするわけです。

 藤井七段が四段デビュー以来、無敗で連勝街道を突き進んでいた時、「望外」(ぼうがい)や「僥倖」(ぎょうこう)という、中学生らしからぬ言葉を使って、話題になりました。

 「ひえー」は難しい言葉ではありません。しかし将棋界で一般的に使われるという意味では、「望外」や「僥倖」と同じかもしれません。

 ネット中継のコメントを見ていると「控え室の検討陣から悲鳴が上がった」という定番のフレーズがあります。この悲鳴とともに起こる声はたいてい「ひえー」です。

 過去の新聞観戦記を見ても、検討陣だけではなく、対局者もまた頻繁に「ひえー」「ひぇー」「ひええ」「ひょえー」などと言っていることがわかります。

 筆者が調べてみた限りでは、「ひえー」と声をあげる代表格は、現在の将棋連盟会長・佐藤康光九段です。新聞データベースで「佐藤康光 ひえー」で検索しただけでも、12件ヒットしました。以下はその一部です。

 それまで局後の検討を黙って聞いていた森内名人が「ここで△7四金はありませんか」と問いかけたのが図の場面。その時の両者の反応といったら……。見たこともない物体に出合ったような感じだった。「飛車を取れるんだ」と谷川。「ひえー、そんな手があったんですか」と佐藤。佐藤は「そんな手は1秒も読んでませんでした」と後に語っていた。

出典:山村英樹:A級・佐藤康光王将-谷川浩司王位「毎日新聞」2003年2月5日朝刊

その瞬間、佐藤は目を見開き「ひえー」と3度も繰り返した。

出典:深松真司:A級・佐藤康光九段-稲葉陽八段戦「朝日新聞」2017年1月16日

▲7四銀に佐藤は「いやいやいやいや、ひえー……」とつぶやき、両こぶしで頭をコッコッコッと小突いた。

出典:加藤まどか:A級・佐藤康光九段-稲葉陽八段戦「毎日新聞」2019年2月4日朝刊

 佐藤康光九段は驚きが素直に表れるタイプなのでしょう。

 他の例も見てみましょう。

 本譜は両者が一手ごとに「ひいー」と悲鳴をあげながら指す難しい終盤となった。(中略)またもや先崎が「ひえー」と悲鳴をあげ、頭を抱えた。

出典:椎名龍一:A級・先崎学八段-藤井猛九段「毎日新聞」2002年3月4日朝刊

「ひえーっ」と行方が声を上げた。こちらも既に1分将棋だ。

出典:斎藤哲男:棋聖戦二次予選・丸山忠久九段-行方尚史七段「産経新聞」2004年10月28日朝刊

一分将棋の行方は、「ひぇー」と悲鳴のような声を上げた。

出典:君島俊介:A級・屋敷伸之九段-行方尚史八段「朝日新聞」2016年8月29日朝刊

 丸山は夜食用のカロリーメイトを食べ、しきりに席を立つ。丸山がいなくなると、久保は「ひえー」「いやー」とつぶやいている。

出典:丸山玄則:A級・丸山忠久九段-久保利明八段「朝日新聞」2007年7月22日朝刊

(控え室の検討では)一手進むごとにどよめきが起き、予想を裏切る両者の指し手に「ひえーっ」と悲鳴が上がった。羽生三冠の反撃に遭い、深浦さんの攻めが途切れたか、と思われたその時、絶妙手が飛び出した。

出典:「長崎新聞」2007年10月8日「やったね深浦さん」

(前略)渡辺は「ひえー」と小声でつぶやく。手にした携帯用使い捨てカイロをもみ込む。その手つきがいら立たしげだ。

出典:椎名龍一:A級・渡辺明王将-佐藤康光九段「毎日新聞」2014年12月2日朝刊

△2一歩の一手とみていた渡辺は「ひぇー」と小さく漏らし、盤面をのぞきこむ。

出典:船江恒平:A級・渡辺明棋王-久保利明王将「朝日新聞」2018年3月2日朝刊

 どれもその場面の情景が浮かぶようです。

「ひえーざん延暦寺」

 という言い回しは「ひえー」の派生として、昔から将棋の対局中の「地口」としてよく聞かれました。

「ひえーじままいこ」

 という言い方は女流棋士の比江嶋麻衣子さん(現姓・藤田さん)に由来するもので、十数年前によく耳にしました。

 では将棋だけでなく、ボードゲームをする人が全般的に「ひえー」と言うかというと、必ずしもそうではないようです。「ひえー 囲碁」で新聞データベースを検索してみたところ、将棋とは対照的に、囲碁の観戦記は1件もヒットしませんでした。

 藤井聡太七段が将棋界の王道を歩む若者であることは、誰もが認めるところでしょう。そして「ひえー」と声をあげて驚く点もまた、将棋文化を忠実に受け継いでいると言えるのかもしれません。

【追記】以下は補足記事です。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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