歴ログ -世界史専門ブログ-

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この世のどこかにあると考えられたユートピア伝説

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冒険者たちが夢見たどこかにある理想郷

かつて、この世のどこかには「金銀宝石がザクザクあるお宝の町」や「辺境にあるキリスト者や仏教徒の理想郷」があると信じられていました。

冒険野郎たちはそのような夢のようなお話を信じて船に乗って世界中に繰り出し、大航海時代へ繋がっていきました。

こういった冒険野郎たちのおかげで世界は繋がって今や意志さえあればどこでも行けるようになったのですが、こういう夢のような土地がないことを彼ら自身が証明してしまったのは皮肉なことです。 今回はかつて存在が信じられていた伝説の都市をピックアップします。

 

1. エル・ドラド(南米のどこか)

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南米のどこかにあるとされた黄金郷

16世紀、南米大陸にたどり着いたスペインのコンキスタドール(征服者)たちは、あるインディオの部族が「黄金や宝石を身につけ、黄金の粉をかぶって聖なる湖に浸かる儀式」を行うという噂を耳にします。

スペイン人たちはその知られざる「黄金の土地」をエル・ドラドと呼び、南米各地を冒険して回りました。18世紀後半まで黄金郷探しは行われますが、結局そのようなものは存在せず、エル・ドラドの存在は地図上から消去されてしまいました。

当初スペイン人たちが耳にした噂は、現在のコロンビアにあるグアタビータ湖近辺のチブチャ族によって実際に行われていた儀式と考えられています。

当時のスペイン人たちが想像していたような「黄金が腐るほど採れる」ような理想郷は存在しませんでしたが、黄金文化が南米各地に存在したのは確かではあります。

 

2. カラーパ(この世界のどこか)

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特別な者だけがたどり着ける仏教徒のユートピアの都

カラーパは伝説の仏教国シャンバラの首都であるとされます。チベット仏教の世界で「仏教が支配する理想の王国」として広く信仰されました。

円状の山脈の中に広がるシャンバラの中心に都カラーパはあり、96の小王国には数百万の街があって、それらの小王国をシャンバラ王が統治するとされました。

カラーパの南12由旬にはサンダルウッドパークという公園があり、東に12由旬行くとレナマナサ湖があり、西に12由旬行くと白ロータス湖があります。サンダルウッドパークの中心部には、シャンバラ初代国王スンダンドラ王の巨大な像があり、これは5つの宝石で出来ているそうです。

シャンバラの国民は皆善良で、平和と調和が支配しており、法律は穏やかで刑罰は全く厳しくなく、人々は善行に励みながら日々を過ごしているそうです。また、96人の小王国の国王たちはテレパシーを使って配下の国民たちに直接語りかけることができるそうです。

シャンバラへの行き方は、ダライ・ラマが1985年に語ったところによると、

「特別な繋がりがある人は、カルマとのつながりによって行くことができるかもしれませんが、普通の人が見つけようと思って見つけられる、物理的な場所にはありません。人間の領域の純粋な土地であるとしか言いようがありません」

とのこと。これは、天国ってことですかね…?

 

3. ホウッサ(西アフリカのどこか)

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交易都市トンブクトゥの噂に尾ひれがついたアフリカの大都市伝説

ホウッサはあまり有名ではありませんが、現在の西アフリカの内陸部にあるとされた都市の名前です。

18世紀のイングランドの作家エゼキエル・ブロムフィールドは、

「アフリカ帝国の都はホウッサと呼ぶ」

「高い文明を有し、君主制ではあるが議会も機能しており、アラブ商人の高い敬意を集めている」

「女性の位が高く、時には夫の栄誉を脅かすほどだそうだ」

と述べました。

同じく18世紀のスコットランドの探検家ムンゴ・パークは、

「ホウッサは都市の名前ではなく国の名前であり、チュニスから南方に行ったところ、トンブクトゥとカシュアの間にある」

「黒人の大帝国であり、ある人はスーダンの一部と言っているが、スーダンとはたくさんの地域を集合して呼ぶ名である」

と述べています。

実際のところそんな都市も国家も存在せず、これらの話は様々な証言が人づてに伝わるうちに、ニジェール川の交易都市トンブクトゥの噂に尾ひれがついて、大帝国の都市や国家であると語られたようです。

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4. シーザーの町(パタゴニア)

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スペイン人探検家の末裔が暮らす金銀に溢れた地

シーザーの町は、現在のアルゼンチンとチリにまたがるパタゴニアにあると信じられていた町です。

この町はセバスチャン・カボート(ジョン・カボートの息子)の南米探検に同行したスペイン人船長フランシスコ・シーザーとのその部下のスペイン人たちの末裔が暮らすと信じられました。

1526年、セバスチャン・カボートはスペイン国王カルロス1世の命を受けラプラタ川流域の探検を行いますが、厳しい気候や敵対的な先住民の攻撃などではかばかしい成果をあげることはできず時間だけが過ぎていきました。1528年、カボートはラプラタ川探検を切り上げ、拠点のサンクティスピリトゥスに戻ろうとしますが、フランシスコ・シーザーがカボートに数人の部下と共に居残って探検を続けることを提案。カボートはこれを許可しました。

ここまでは事実ですが、伝説では西方に探検を続けたシーザーは、とうとう金銀がザクザクとれる豊かな土地を見つけ、そこに町を開いたということになっています。数多くの冒険家や商人が発見しようとしましたが見つからず、邪な者が近づこうとすると不可解な霧に覆われてしまい発見できない、と噂されました。

 

5. クイヴィラ(アメリカ西部)

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原住民のウソから広く信じられるようになった伝説の町

1540年秋、スペイン人のエルナンド・デ・アルヴァラドとフランシスコ・ヴァスケス・デ・コロナドは、捕虜にしたパワニー族の男から、

「ニューメキシコからさらに西へ行った平野のどこかにクイヴィラという町があり、この地には金銀が大量にとれ、原住民が多く住み豊かに暮らしている」

という情報を聞き出しました。さっそくスペイン人たちはその地に行ってみますが、見渡す限りの荒野で何もない。何も無かったぞとパワニー族の男を問い詰めると、彼はスペイン人に自分たちの土地から出ていって欲しいがための方便だったことを白状しました。

しかしクイヴィラの噂は各所に広まり、1595年にはフランシスコ・レイヴァ・デ・ボニッラとアントニオ・グティエレス・フマーニャ、1601年にフアン・デ・オニャータが金銀を探し求めてこの地を訪ね、やはり荒野しかなかったそうです。当たり前だ。

クイヴィラは後にこの地の原住民のウィチタ族が住む村と混同され、実際にどこにあったかが歴史家、民族学者、考古学者の間で論争になりました。

 

6. ヴィネータ(バルト海南東部のどこか)

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 不道徳と放埓を神によって罰せられ沈んだとされる港町

ヴィネータはポーランド西部のバルト海沿岸にあったとされる港湾都市。

記録では、10世紀のイベリア半島出身のアラブ商人イブラヒム・イブン・ヤクブが初めて書き記しています。

ヴィネータは古代からバルト海交易で栄え、人口は5万もあり当時のコンスタンティノープルよりも多く、人々は金銀を身につけ豊かさを競うほどであったそうです。
ところがある時、港に人魚が現れ驚くほど高い声で叫び町の人に「ヴィネータよ、すぐにこの町は破壊される」と警告したそうです。

人魚は破壊の3ヶ月前、3週間前、3日前に現れ警告を与えました。長老はうろたえ、人々に町から退避するように言いますが、不信心な人々はこの警告を信じようとせず、豊かさを放棄することを拒否して町に留まり続けました。

そうして1170年に巨大な波がヴィネータを襲い、バルト海の底に沈没してしまったそうです。人々はヴィネータは神の怒りによって滅びた考えました。

このヴィネータはあったかどうか分からないただの伝説ですが、ポーランド西部の町ボリン(Wolin)島かウーゼドム(Usedom)島がヴィネータではないかと考える人もいますが、有力な証拠は全く出てきていません。

 

7. イス(フランス・ブルターニュ地方)

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異教を信ずる女が悪魔に騙され沈んだ町

イス(Ys)はフランス・ブルターニュ地方の西部にあったとされる町で、ヴィネータのように洪水によって崩壊したとされます。

イスの伝説には様々なバージョンがありますが、大まかには以下のような感じです。

かつてブルターニュにはコルヌアイユという国があり、グラドロンという王がいた。コルヌアイユにはイスという港町があって栄えていたが、開かれて2000年もたった港は侵食され、大きな水門を周りに立てて水の侵入を防いでいた。

イスの町はグラドロンの娘ダユーによって支配され、彼女の支配下で都市は豊かで繁栄し、多くの高級建築物と庭園が建設され世界で最も美しい都市として知られるようになった。

グラドロン王はキリスト教に入信し、国にキリスト教を広めようとしたが、娘のダユーは嫌悪感を示し、キリスト教を排除した。加えて、ダユーはイスにやってくる若い美青年を誘惑して一夜を共にした後、窒息させて殺害し城から海に投げ捨てるという悪癖があった。

ある時、赤い服を着たハンサムな騎士がイスを訪れダユーを誘惑した。この騎士の正体は悪魔だったのだが、すっかり恋に落ちたダユーは騙され水門の鍵を父親から盗み取って開けてしまった。すぐに海水が押し寄せ、イスは水没してしまった。

イスが水没する様子を見たグラドロンは魔法の馬で駆けつけ、ダユーを救助した。グラドロンは悪魔をはねのけ陸地に向かうが、神はダユーを海に突き落とすように命じた。やむなくグラドロンはダユーを突き通して溺死させた。

この話はキリスト教を蔑ろにした教訓話として昔から人気のある話で、絵画のモチーフとなってきました。

また、波の下からたまにイスの町の鐘の音が聞こえるとか、パリが崩壊した時に再びイスは水中から復活するという伝説もあります。 

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まとめ

「どうやら向こうの方に金銀がたくさん採れる場所があるらしい」

というような噂は風のように流れ、さらに真偽を確かめるより体が先に動いてしまう人がいかに多いかを物語っています。

冷静に考えれば、「金銀が採れる」などという情報は絶対人には言わないものだと思うのですが、「一攫千金」の魅力はかくも強いのでしょう。 

振り返れば、バブル時代の不動産投資も、最近だと仮想通貨ブームも広義の「理想郷伝説」だったのかもしれません。

 

参考サイト

"Shambhala - The Magic Kingdom " International Kalachakra Network

 "The lost City of the Caesars: the ‘invisible’ land of South America" Infinity Exploler

"QUIVIRA" Texas States Historical Association

"Lost Ancient Golden City Of Vineta – The Atlantis Of The North" Ancient Pages

"Lost Worlds: The drowning of the city of Ys" Folkrealm Studies