ここ最近、食の分野に強い友人達から、食べて感動した店としてよく名前のあがる飲食店がある。それが今回紹介させていただく、渋谷の「エリックサウス マサラダイナー」だ。
「エリックサウス」は東京駅近くの八重洲店、赤坂見附の東京ガーデンテラス店、KITTE名古屋店を擁する南インド料理の店。米と野菜を中心に構成された「ミールス」というヘルシーかつスパイシーな定食や、ドーサやワダなどの「ティファン」と呼ばれるインドの軽食を、日本人向けのアレンジをあえてせずに提供しており、このサイトでも別の方が八重洲店を紹介している。
その流れから誕生したエリックサウス マサラダイナーの特徴は、他の系列店と同様にオーセンティックな南インド料理をしっかりと網羅した上で、「モダンインディアン」と呼ばれるインド料理の新潮流に挑んでいることらしい。
ミールスやティファンの存在を最近になってようやく知った私にとっては、モダンインディアンといわれても、正直「何それ?おいしいの?」である。
だが、何一つ想像がつかない料理こそ、足を運ぶ価値があるのではということでやってきた訳だ。
▲中央のカウンターはサッと定番のカレーやミールスを楽しむ席、周囲のソファーはゆっくりと時間をかけて食事を楽しむ席と、メニューの内容も分かれている。
モダンインディアンとは「新しいスタイルのインド料理」
モダンインディアンとは何か。この取材に行く前に、エリックサウス全店のメニュー開発を担当しているイナダシュンスケさんから、このような回答をいただいた。
イナダ:モダンインディアンとはロンドンを中心に世界中で流行しつつある「新しいスタイルのインド料理」の総称とも言うべきものです。
そのスタイルや解釈は様々ですが、この店のモダンインディアンは、南インドを中心とした伝統的なインド料理に、ヨーロッパ、中東、ラテンアメリカ、時には日本も含めた様々な食文化の技法や食材を当てはめ、「もしインドにこの技法や食材が伝わっていたら」という、空想上の「if」からスタートして、インド料理の更なる発展の可能性を探るというスタイルです。
例えば現在のインドに魚を生食する文化はありませんが、今後流通の整備や和食の影響で、「もしも」生魚を食べる習慣が根付いたとしたら、その料理はこういうものになるであろうという発想で料理を組み立てています。
仮定の話なのだから何をやってもいいという訳ではなく、料理の発想をつなぐ大事なポイントとなるのが、国境や文化圏を超えて使われる共通のスパイスやハーブ。
それをキーとすることで、例えば南インドならではの魚料理を「フェンネル」という共通のスパイスを介して、南イタリアのシチリア地方に伝わる料理と結びつける、といったような方法論です。
現実の世界に起きたことでいえば、アメリカの西海岸で寿司が流行ったらカリフォルニアロールが生まれた、日本に西洋の揚げ物文化がやってきたら天婦羅やトンカツが誕生した、みたいな話の空想版インド料理という解釈であってますかね。
それにしてもモダンなインディアンである。私一人で食べても料理の意図や味わい方を理解しきれない恐れが大いにあったため、すでにマサラダイナーに来たことがある男性の友人4人に、自腹でよければどうですかと誘ったところ(私も自腹)、4人とも行くという返事が即来た(ただし一人が急用で欠席)。みんな、どんだけこの店が好きなんだ。
▲モダンインディアンのフルコースは、2ヶ月ごとに内容やテーマがガラッと変わる季節の味。これまではフレンチの技法を取り入れる事が多かったそうだが、今回はイタリアンや和食との融合が中心とのこと。
平均年齢40オーバーの男4人で食べるには格好良すぎる気もするが、オーダーしたのは当然モダンインディアンのプレミアムフルコース。ドリンク別で税込5,400円と、11種類あるこの店のコースの中では頭一つ飛び出した値段設定だが、それだけ力が入っているということなのだろう。
ちなみにこの日はバレンタインデーだった。
▲飲み物はしっかりとショウガの効いた、大人のスパイシージンジャーサワーをセレクト。
鰹節、昆布、椎茸のダシが効いたスパイシーなラッサムでスタート
以下、この記事が公開される頃にはコースの内容が変わっているので、私のときはこういう料理でしたよ、こういう方向性の料理ですよという参考まで。
最初に運ばれてきたのは、「和ダシと三つ葉のラッサム」だ。イナダさんからいただいた説明を読んだ上で、じっくりと味わっていく。ちなみに説明を読んだだけでは、その味をうまくイメージできなかったが、食べ終えてからこの文章を読んでみると、なるほどそうだよね!と膝をパシンと叩くことになる。
イナダ:本来のラッサムは、豆の煮汁をベースにタマリンドの酸味を効かせたスパイシーなスープですが、これは鰹節、昆布、椎茸のブレンドダシをベースに仕立てたオリジナルです。異質な組み合わせのようですが、澄んだ味わいでガツンと香りの強いダシをラッサムに合わせる事で、驚くほど違和感なくまとまっていると思います。
浮き実は「ワダ」という豆をすり潰して作る南インドの揚げ物で、ここでは飛竜頭(ひりょうず=がんもどき)に見立てたイメージで使い、三つ葉と合わせて椀物風に仕立てました。
▲三つ葉の浮いたラッサムからスタート。
ラッサムも熱いが説明文も熱い。私は料理の情報量は基本的に多ければ多いほどうれしいタイプなので、この懇切丁寧な、味を理解するためのヒントは、まさに最高の調味料である。
イナダさんの説明通りに見た目は日本料理の椀物風なのだが、飲んでみるとものすごく力強い。慣れ親しんだ和食のうま味の上に、胡椒などのスパイスを幾重にも積み重ねた味だ。重厚だけどあくまですっきり。暑い南インドではなく、寒い日本の冬に飲んでこその、体が芯から温まるうれしいスープだ。
蓮根のフライがなぜこんなにもうまいのか
続いての料理は、「加賀蓮根65と焼きケールのサラダ」である。なんだ65って。
イナダ:65(シックスティファイブ)は南インドスタイルのスパイス揚げです。チキンやカリフラワーを使うのが一般的ですが、もっちりシャキッとした加賀蓮根との相性の良さは言わずもがなでしょう。
ケールは最近サラダ野菜としてもてはやされていますが、生のままでは本来の持ち味が生かせないと考え、高温のオーブンで秒単位の火入れをしました。バーベキューでうっかり焦がしたキャベツは妙に美味しかったりしますが、まさにあの味わいを洗練させた調理法です。
ドレッシングがわりに塩レモンを効かせたパニール(インド式のカッテージチーズ)のそぼろを散らしてあります。周りを囲っているのはフルールドセル(粒子の粗い海塩)と、クミンと唐辛子をローストして粗挽きにしたもの。付けて食べる目的もありますが、サーブされた瞬間の香ばしい香り立ちが一瞬で食欲をそそる効果も狙っています。
▲初めて加賀蓮根を食べた料理が創作インド料理になるとは。突然の出会いに、ちょっとした運命を感じてしまう。
しっとりだけどサクサクの衣で包んだ加賀蓮根が、今までに食べたどの揚げ物とも微妙に違って、それでいて絶妙にうまいのだ。「この香ばしさは衣の黒ゴマかな」と口に出したら、同行者から「カロンジというスパイスだよ」と指摘された。スパイスを軽んじてはならない。
急に安っぽい話で恐縮だが、これは私の中にある「ビールに合う揚げ物ランキング」で突然一位に躍り出たシンデレラだ。この衣になる粉と加賀蓮根がレジ横に売っていたら絶対に買う。65という名前の由来は諸説あるらしいが、AKBもSKEも48人じゃないので、65も今となっては深い意味はないのだろう。
そして絶妙に焼かれたケールがすごかった。ケールといえば苦い青汁の材料というイメージしかなかったのだが、キャベツに比べて薄いからこそのパリッとした焼き上がりで、その苦みがクセになる。
散らしてあるパニールや周囲を彩るフルールドセルなどとのバランスで、万華鏡のように味が変わるのもまた楽しい、ぜひお代わりが欲しくなる一皿だ。
殿様、ロティでございます
ここでメニューには書かれていない、謎の紙袋が運ばれてきた。
▲添えられているのは甘いリンゴバター。
紙袋の中身は全粒粉を使った無発酵の素朴な薄いパン、ロティである。このコースでは、せっかくの焼きたてロティが、乾かないように、冷めないようにと、わざわざ紙袋に入れて提供されるのだ。
▲袋の中にはほかほかのロティ。パンというよりは、蕎麦粉のクレープであるガレットが近いかな。
▲乾きやすくて冷めやすい薄いロティだからこそ、出来立てを熱々で食べると本来のうまさがよくわかる。
ここでの「if」は、「もしも豊臣秀吉が織田信長にロティを出すとしたら」だろうか。「殿、温めておきました」というやつである。
カラスミをもスパイスにした贅沢なインド風パスタ
続いては紅ズワイガニと帆立、カラスミのトマトクリームマサラ フォッリエ・カリパッタである。インド料理とイタリアンの融合だ。
イナダ:一見とてもカレーには見えないかもしれませんが、過不足なくカレーの材料のみで作られています。魚介のうま味が凝縮されたカレーというイメージで、スパイスはブラックペッパーを主体に、カルダモン、クミン、クローブなど。仕上げのカラスミはイタリア産のボッタルガで、ある意味これが決め手の「スパイス」となっています。
パスタはフォッリエと呼ばれる素朴な手打ちパスタで、指で整形する際の裏面のザラつきがソースの絡みをよくします。本来イタリアではオリーブの葉の色と形を模したものなのですが、ここでは南インドの定番食材である「カレーリーフ=カリパッタ」に見立てました。
▲イタリアのカラスミがスパイスとして振りかけられている。
これまた味の想像ができない料理なのだが、食べるとそういうことだよねと説明が理解できる。
カニのうま味が詰まったフワッフワのソースがイタリアンではありえない多彩なスパイスで飾られており、口の中でもっちりとした手打ちパスタとシームレスにとろけていくのだ。すごい。
▲パスタではあるけれど、食べるとしっかりとカレー。カレー味ではなくカレー。
▲ソースがもったいないのでロティでいただく。
もしもインドにレアの魚を食べる習慣が根付いたら
メインの料理は2皿。まずは「カジキマグロの石窯レアステーキ マラバリ・タップナード添え」だ。本場のインド料理ではまず登場しない、レアな火加減の魚料理である。
イナダ:カジキマグロはインド料理レストランでも定番的に使われる魚ですが、常に何でもオーバークック気味に火を通すという一般的なインド料理の特性上、パサついた状態に仕上げられるのが常です。それはそれで、その状態ならではの、みっしりとした美味しさもあるのですが、ここでは刺身に使える新鮮なものをレアの状態に仕上げることで、より素材の特性を生かしました。
下味はレモンやチリなどでマリネする、南インドの焼き魚料理のオーソドックスな方法です。 添えてあるマラバリは、黒オリーブのペーストを主体にした、フレンチで言うところのタップナード的なものですが、味付けはタマリンドやフェンネルなど、やはりこちらも南インドで魚料理に合わせる典型的なマサラ(いくつかの香辛料を合わせたもの)となっています。
このフェンネルから繋がるイメージで、ほろ苦い葉野菜やオレンジを合わせてシチリア料理風の一皿に仕上げました。
▲透明なガラスの器でやってきた魚料理。
▲大振りの塊で出されたカジキマグロの美しい断面。
あっさりした味わいのカジキマグロは、しっかり火を通してもおいしい魚だが、やはり日本で育った人間としては、レアで出されると素直に喜んでしまう。店内にはインド人らしきお客さんもいたが、これを食べたらどんな感想を持つのだろうか。
石窯を使って焼かれたためか、レアとはいえ中までほんのりと温かく、刺身の変化系である炙りやたたきとは印象がまるで違う。あくまで魚のステーキとしてレアなのだ。
主張のある苦みが口をさっぱりさせてくれる葉っぱはセルバチコ(ワイルドルッコラ)だろうか。一皿に盛られた食材の組み合わせが、見た目の話だけではなく、食べ進める上でも絶妙だ。
ざっくりいうと鹿肉のカツカレー
そして肉料理のメインは、「岐阜県産『山県ジビエ』野生鹿のカツレツをローガンジョシュで 紅玉りんごのカシミリプラオ添え」だ。山県(やまがた)は岐阜県にある市の名前。
イナダ:ジビエ鹿ならではの森の香りともっちりときめ細かい肉質。入念な火入れで仕上げたカツは、衣の上にギー(バターオイル)を染み込ませパルミジャーノレジャーノを振ることで、背ロースの淡白な味わいにアクセントを加えています。これがいかにもインド的なミントソースともよく合います。
カシミール地方のカレーであるローガンジョシュには、うま味とゼラチン質が豊富な首肉やスネ肉を使ってじっくりと煮込み、カロンジとカルダモンの香りを主体にスパイシーに仕上げました。
ローガンジョシュがもともとインド北部カシミール地方由来のカレーなので、付け合わせのプラオ(スパイスを使ったインドの炊き込みご飯)も同地方を代表する米料理としました。バスマティライスをリンゴ、レーズン、ナッツ類と共にジンジャーミルクで炊き込んだ宮廷料理的な仕立てです。
それぞれのパーツはそれぞれでおいしくお召し上がりいただけると思いますが、全てを合わせる事で今まで誰も食べたことのないスペシャルな「カツカレー」としてもお楽しみいただけます。
▲知らない国のカツカレーが出てきたぞ。
コースのメインとなる料理が運ばれてくると、中年男性4人の目がキラッキラと輝いた。
世の中にあるカツカレーは基本ぜんぶうまいのだが、これは刺激的なローガンジョシュにバスマティライスのプラオにジビエ鹿のカツの組み合わせである。そりゃうまいさ。
▲カレーとライスとカツを合わせて食べると最高。
野生の鹿を使ったカツということで硬いかなと身構えたのだが、これが驚くほど柔らかく、上質な野趣にあふれている。カツとパルミジャーノとの相性もよく、このひと振りがあるのとないのではこの料理の完成度が変わってくるのだろう。スパイシーなローガンジョシュに甘いフルーツ入りプラオという組み合わせも広がりが楽しい。
この一皿を単体でいただいても十分うまいのだろうけど、モダンインディアンのコースの締めとして出てくると、ここまで培ってきた「共犯感」にも似たマサラダイナーに対する信頼の積み重ねが、この独創的なカツカレーを素直に受け止めさせてくれる。
ヨーロッパの風が吹いたインドのデザート
デザートは「温かいレモンカスタードハルワ 市田柿のシュリカンド添え」である。インド料理をベースにしつつも古き良きヨーロピアンな仕上がり。これもまた「if」の賜物だ。
イナダ:セモリナ粉を砂糖水とギーで練って作るインドのお菓子「スージーハルワ」の伝統的なレシピに、レモンとカスタードを加えてタルト型で焼き上げました。素朴な中にふわっとミルキーな香りとレモンゼスト(すりおろした皮)の風味が潜んでいます。
シュリカンドはヨーグルトを水切りして作る、こちらもインドの伝統的なデザートです。ここでは固干しの干し柿にその水分を全て吸わせる事で、ねっとりとした濃厚なヨーグルトと、さわやかな酸味を含んでゼリーのような食感の柿が、同時に仕上がります。さらに柿と相性の良いシナモンとローリエを風味付けに使いました。両者を合わせる事で、インドというよりはむしろどこかヨーロッパの郷土菓子を思わせるような、懐かしく不思議な味わいが生まれます。
▲左からミルクアイス、レモンカスタードハルワ、市田柿のシュリカンド。
インドの甘いものに良い印象がなかったので、デザートまでは正直期待していなかったのだが、しっかりと3品も登場して驚いた。ハルワは蒸しパンならぬ蒸しケーキとでも呼ぶべき優しい味で、スパイシーな料理と戦ってきた舌を休ませてくれる。横にそっと添えられたアイスがまたうれしい。
シナモンを効かせたシュリカンドも絶妙。干し柿の魅力をこうも引き出す方法があるのかと唸らされる。これは知り合いの柿農家に教えたくなる味だ。
▲デザートと一緒に温かいチャイをいただきました。
食事を終えて、どの料理がおいしかったかという話になったのだが、あれもうまかった、これもうまかったと、結果として全部の料理名が挙がっていた。隙が無いのだ。
来られなかった友人からの手紙
最後に、今回残念ながら来られなくなってしまった友人のTさんから来た、大変恨めしそうなメールを紹介したい。ちなみに彼は関係者ではなく、あくまでエリックサウスのファンである。
Tさん:本日は行けなくなってしまい申し訳ありません。
従来のエリックサウスは「アレンジではなくセレクトで日本人に合わせる」という手法を取っていました。それぞれの皿は原理主義的インド料理。でもマニアでなくても普通に美味しい「カレー」として食べられる、みたいな。それに対し名古屋某所で不定期開催されていたと噂に聞く、モダンインディアンの「変態コース」 をついに実店舗化したともいえるのがマサラダイナーなのです。
イナダさんの「if」の料理という考え方、これは一つの設定だけを変えてあとはガチでやるということなんだと僕は理解しています。これは「SF」のやり方です。SFの場合は一つの大きな嘘の違和感を消すために、それ以外をきっちりと考証します。マサラダイナーの「if」も、アレンジした設定以外はあくまで各地の地方料理として調理することで、なんでもアリの創作料理にはない説得力と料理としての魅力が生まれるのだと思います。
個人的にはインド料理の「他から持ってきた出汁を使わない食文化」(ここが僕がインド料理に興味を持ったきっかけでもあります)が、イナダさんの与えた「if」によって、日本独自の「欧風カレー」などとどう違う着地になるかが気になっていて、みなさんと一緒に体験できなかったのが心残りです。
Tさん、ご覧の通りに最高の「if」でした。
コースのメニューも変わったようなので、また改めて行きましょう。
紹介したお店