見出し画像

米のことばかり考えていたら150年経っていた

こんにちは、米屋の魚住と申します。うちは150年もつづく米問屋です。

米一筋150年。
「舞(米)上がる」こともなく、
「ぬか(糠)喜び」することもなく、
ただ、ひたすらに米と向き合ってきました。
お父さんも、おじいちゃんも、ひい爺ちゃんも、米屋です。150年間、一族米のことばかり考えてきました。私は赤子の時から米(稲穂)にあやされ、米に育てられた、まさに「米屋のサラブレッド」なのです。

画像1

だがしかし、実は米よりパンが好きだった

そんな生まれながらに「米屋のサラブレッド」として生きることを宿命付けられたように思われる私ではありますが、若かりし頃は、米にそれほど強く愛着を持ってはいませんでした。
むしろパンの方が好きだった、ということをここに告白しなければなりません。

米という存在があまりにも近くにあり過ぎて、当たり前すぎて、そのありがたみや美味しさを自覚できていなかったのです。
凄く美味しいお米が、まさに空気のような存在でいつも側にいることがいかに幸せなことなのか、子供だった自分には理解ができていなかったのです。
街角にあるちょっとお洒落なパン屋さんに憧れて、
「どうしてうちはパン屋じゃないの?」と親を責めたこともありました。

画像2

そして、米を忘れるために

米が身近にあり過ぎた環境で育った私は、
その進路を決める時に「米を仕事にする」ことに抵抗を持ちました。自分の本当にやりたいことが果たして「米の仕事」なのかどうか分からなかったのです。
戸惑う私に父は何も言いませんでした。
そんな父の遠慮に気づかないフリをして、米から離れる人生を選択しました。

米を敬遠するあまり、米が何だか「小さい」もののように感じてしまっていた自分は、いっそ正反対に「大きな」ものを作りたいと思い、「家」をつくる会社に就職しました。
注文住宅で家を建てていくのは楽しかったです。
その後私は、13年もの間、「米屋」を思い出すことも考えることもなく、家を建てる仕事に没頭しました。

あるとき、暮らしを作ることの尊さに気がついた

家を作る仕事で時と経験を重ねるにつれ、
いつしか家というモノを作っていたはずの仕事が「人々の豊かな暮らし」というコトを作っている仕事であるように、強く感じるようになりました。
新しい家をお求めになる人々の生活の息吹は、家と言う物体そのものだけに投影されるという程単純なモノではありませんでした。

その息吹は、暮らしに関わるすべての事柄、
「食、睡眠、光、空気、匂い、会話、笑顔、などなど・・・。」一つ一つが滞りなく、淀みなく流れ、無理なく積み重なることで、
はじめて暮らしは「幸せにも、健やかにも」「不幸せにも、不健康にも」なってしまうのだ、と気がつきました。

自分が家づくりの仕事に一生懸命になれるのは、自分が人々の暮らしに関心があり、それをもっと良くしたいと言う気持ちがあることが理由なことに気がついたのです。
暮らしという概念は、「大きい」と思っていた家そのものよりも、もっともっと大きなことでした。

画像3

「魚住さんのおかげでご飯が美味しくなった」

米から離れて13年目のある日、
私が注文住宅を一緒にお作りしていた顧客さんに、「ウオズミさんのおかげでご飯が美味しくなりました。」と言われたことがありました。
なんでも、私が提案した家のリビングの採光が良く、高めに作った天井の開放感も相まってか、
お客様ご本人様曰く
「とても明るくて、何だかご飯が美味しくて仕方がない」とのことでした。
そして、「ご飯が美味しく感じられることの幸せは何ものにも変えられない。」
と、そうお客様はおっしゃいました。

自分の家が米屋だったと思い出した

その瞬間です。
自分が「ご飯を美味しくできる」そのノウハウを持った150年企業の息子であることを思い出したのです。

「ご飯が美味しい」と言う言葉が、我が子を褒められたように嬉しくって。
(ここで言うご飯とは米のことだけではありませんでしたが、主役はお米だと勝手に解釈しました。)
その顧客さんの笑顔が本当に嬉しくて。

・・・なんだろう、正直今まで家を作ってきた中で一番嬉しいぞ、と思ったのです。
そして瞬く間に「自分が米屋のサラブレッド」であることを思い出したのです。
雷に打たれたような感覚でした。
「自分は米で人を幸せにするのだ。」・・・。
かつて人生で一度も感じたことのない「決意な気持ち」を胸に抱いたのです。

画像6

そして、ついに自分も米屋になる

すぐに父にも告げました。
「米屋をやりたい」と。
13年も米を忘れた息子に、父は叱ることもなく、笑うこともなく、おむすびを握る手を一瞬だけ止めてチラリと自分を見ました。
そして、
「米は深いぞ、それでも良いか?」
とだけ言いました。

自分は大きく大きく首を縦に振りました。

それから8年の月日が流れました。
私は「米屋の米サラブレット継承者」として日々を米と共に歩んでいます。

米サラブレットの特殊能力

そんな米サラブレッドの私が、長年の米修行を経ることで、
自分でも知らない間に身に付けてしまった特殊能力が4つあります。

①米の目利きがすごい
②精米がうまい
③レシピに合わせて米のオーダーメイドができる
④米を究極においしく炊ける

画像5

あるトンカツ屋の米騒動

先日、地元のあるトンカツ屋さんから相談を受けました。
「親戚の農家から米を仕入れているが、いまいちおいしくない。」というのです。「米が美味しくない?」私はそれを放置できるほど温厚で穏便な米サラブレットではありません。
米サラブレットは「米」に何かあったら自らに鞭をしこたま叩き込み、その問題解決に向けて疾走するのです。

炊けた米は嘘をつかない

私の祖父の言葉です。
つまり、「米を食べれば米のコンディション全てが分かる」と言うことです。
米と向き合い、米と対話し、米の声を聞くのです。

トンカツ屋さんの米を食べて、しばし意識を集中しました。
米の品質もいいし、精米も悪くない。トンカツにも合う米を使っている。

しかし・・・。
「米は全て炊けた」否、
「謎は全て解けた!」

・・・問題は「炊き方」でした。

炊き方を変えたら劇的に米が輝いた

このトンカツ屋さんの場合、問題だったのは炊き方でした。
2時間かけて炊き方をレクチャーしたところ、劇的にお米がおいしくなりました。じっちゃんの名にかけて、恥じない解決ができました。

後日、お客さまからも「お米が美味しくなったね!」とたくさんの声をいただけたそうです。そう、プロの料理人でさえも、正しい炊き方は意外と知らないものなのです。

炊きたてご飯

美味しいお米を選ぶ=美味しいご飯が食べられることではない

この例のように、例え「コシヒカリ」や「ひとめぼれ」「あきたこまち」などのブランド米を買ったところで、必ずお米を美味しく食べられる、と言うわけではありません。
もちろんお米そのものの「味」も大切ですが、その味を引き出すための例えば「精米」「炊き方」も、炊く前の「研ぎ方」も、とてもとても大切なのです。

おいしいお米をみんなに食べてほしい

というのがわたしの大きな願いです。
今までと生活様式が変わり、おうち時間が増える、
そんなご時世だからこそ伝えたい「お米の魅力」を余すところなく伝えていきたいのです。

このnoteでは我が家に代々伝わる「米の秘伝の書」を出来る限りわかりやすく、
楽しく伝えていきたいと思います。
具体的には、おうちで食べる料理が、特別な料理に変身するくらいのお米の選び方やレシピなどをご紹介していきたいと思います。

わたしはおいしいお米を食べることでみなさんの日常がちょっと(いや劇的に!)幸せになると信じています。

お米について知りたいことをぜひ「コメ」ントでご質問いただけると嬉しいです。米屋だけに。

それではまた。

【コメント・フォロー・おすすめ お待ち申し上げます🙇‍♂️】

米屋のnote→
https://note.com/notokomeya
米屋のTwitter→
https://twitter.com/nonoichikomeya2
続く米屋のインスタグラム→
https://www.instagram.com/komeya188/
米屋のおこめ売場「おこめ本舗」→
https://www.eekome.biz




この記事が参加している募集

スキしてみて

ご当地グルメ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?