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白旗の歴史

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戦場で掲げられる「白旗」の意味とは

戦場で「白旗」を掲げた歴史は、古くは古代ローマ時代の書物に記述があります。また、漢の時代の中国でも白旗が使われたという記述もあります。

 近代からは国際ルールとして「白旗」の使用が定められました。

今回はもっともシンプルな意匠である白旗のシンボル的な意味を中心にまとめていきます。

 

1. 白旗の意味

古代から戦場で「白い布」を掲げることは「戦闘の意志なし」を意味しました。

第二次ポエニ戦争中、カルタゴ本土に侵攻したスキピオ率いるローマ軍は、「白いウールとオリーブの枝」を掲げた敵船を発見。哀れに思ったスキピオは船のカルタゴ兵10名を捕虜としたそうです。また、ローマ内戦時の69年の第二次ベドリアクムの戦いで降伏した将兵が白旗を掲げたとローマの歴史家タキトゥスが記録しています。それ以前はローマ軍団兵は降伏する時には盾を頭に乗せていたので、紀元後1世紀付近で普及したと考えられます。

同時期、中国でも白旗が使われました。

中国でいつから白旗が使われたかの記録の詳細は不明ですが、後漢(25年~220年)の時代に白旗が採用されたという記録があります。白旗は戦場でよく目立つからという理由以外にも、中国では白は「死」を連想する色であるため「敗北」を最も象徴的に表すと考えられますが、本当はどういう理由だったかよく分かっていません。

東西の大国でほぼ同時期に白旗が使われていたとは面白い話です。白は世の東西に限らず最も一般的な布の色であり、戦場でも普通にあって調達が容易でした。戦場では白色が目立ちやすいという利点もあったし、白という色は普遍的に同じ感情を抱かせるのかもしれません。それが意味するのは「無垢・純潔・無害・弱者」といったものでしょう。 

中世になると西ヨーロッパでは、「戦闘の意志なし」を示す白い旗は広く使用されました。また同時に、「戦闘員ではない」ことを示すために白色の物が用いられました。捕虜や人質は帽子やヘルメットに白い紙や布がつけられました。

ポルトガルの航海者・年代記家のガスパル・コレアは、1502年にヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到着した際、現地の領主サモリンが「棒に白い布を巻いたもの」を持った使者を派遣して和平交渉を望んだと記録しています。ですが、インドでも白旗の慣習があったか、という点までは分かりません。

ドイツの法学者グロティウスは、1625年に記した「戦争と平和の法」の中で白旗について以下のように述べています。

私たちの間では、白旗を掲げることは、会談の開催を要求する暗黙の印であり、言葉で表明されているかのように義務的でなくてはなりません。

Among us the hanging out a white Flag is a tacit Sign of demanding a Parley, and shall be as obligatory, as if expressed by Words.

「白旗=降伏」という意味に捉えている人も多いかもしれませんがややニュアンスが違います。あくまで「当方戦闘の意思なし、貴殿と会談を設けたし」という意味です。 わずかでも、交渉が決裂したら再び戦闘に突入する可能性を残しています。ただちに降伏ではないということは、戦闘に敗れた者の名誉を守る意味もあったのかもしれません。

グロティウスが「私たちの間では」と述べているように、西ヨーロッパでは長い戦争の歴史の中で、白旗が持つ意味は広く認識されていました。

一方同じころ、戦国時代の日本では白旗が降伏の意味という認識は皆無でした。伝統的に白旗は「源氏の旗色」。戦国武将だと、金森長近、後藤基次の軍旗が模様無しの白旗。白地に模様を描いた軍旗は山のようにあります。

実は日本のように、白旗を集団のシンボルとした事例は色々あります。

 

2. 白旗をシンボルとした事例

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ウマイヤ朝(661~759)

白はイスラム圏において、黒・赤・緑と並ぶシンボルカラーです。

預言者ムハンマドが初めてメッカ衆に勝利した「バドルの戦い」を象徴する色が白で、ウマイヤ朝初代ムアーウィヤの時代から伝統的に用いられていました。

ちなみに、上記の汎アラブ色を組み合わせたものが、パレスチナの抗議運動などでよく見られる「アラブ反乱旗(ヒジャーズ旗)」です。

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ファーティマ朝(909~1171) 

そのウマイヤ朝を倒したアッバース朝は、無地の黒旗がシンボルでした。

現在のチュニジアから興りエジプトを中心に支配したファーティマ朝は、アッバース朝に対抗する目的でシンボルカラーを白にしました。

 

アフガニスタン・イスラム首長国(1996~1997)

近代のイスラムの国でも白旗が国旗になったケースがあります。

武装組織タリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧し成立したアフガニスタン・イスラム首長国は当初、白旗をシンボルとしました。その後すぐに、シャハーダ("アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり")を書き加えています。

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フランス王国(1814~1830)

 フランス国王のシンボルと言えば「フルール・ド・リス(百合の紋章)」ですが、ナポレオン失脚後のフランス復古王政(1814年~1830年)の旗は無地の白旗でした。

フランス革命から第一帝政に至るまで、フランスのシンボルと言えば現代のフランス国旗と同じ、青と白と赤のトリコロール。パリ市のシンボルカラーである青と赤に、ブルボン家の象徴である白を加えたものです。

そのトリコロールの政権を倒して復権したブルボン王家は、自らが復帰したことを強く印象付けるためか、「純潔」を意味するブルボンのシンボル白一色の旗を採用しました。

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3. 戦闘停止の旗と間違えられやすい

ブルボン朝時代のフランス海軍は、フルール・ド・リスの他にも白旗を使っていました。すごい紛らわしいですね。

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Photo by Med

 フランスはアメリカ独立戦争に、合衆国を支援するための軍を派遣しているのですが、フランス派遣軍は白旗の下で戦っています。

以下の絵はヨークタウンの戦いに敗北したイギリス軍のチャールズ・コーンウォリス中将(中央)が、フランス軍(左)とアメリカ軍(右)に迎えられている様子です。パッと見だと、左の軍がアメリカ軍に敗れたように見えてしまいます。

とはいえ、戦いもコミュニケーションなので、戦意が高い時に掲げられる白旗と、そろそろ終わりでしょ?という雰囲気に掲げられる白旗は、全く意味が違うと容易に分かったのではないでしょうか。

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実際に、白い旗は戦場で間違ったメッセージを送ってしまうという懸念から、旗が変えられてしまったケースがあります。上記は南北戦争中の南側、つまりアメリカ連合国の2番目の国旗(1863年~1865年)です。

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この旗はフランスのブルボン王家の旗にインスピレーションを受け、正義と平等のシンボルである赤と青、そしてアメリカの自由と独立を表す五芒星を左上に配置しつつ、大部分は白で構成されるという大胆なデザインです。「白人が神に授けられた土地を、劣った有色人種から守り抜くという意思」、白は白色人種を表すと共に、真実・自由・純潔を表すとされました。

この旗発表当初は好評でしたが、やがて「白すぎ」であると不評になりました。

軍の将校は特に海軍の船では戦闘停止の旗に間違われる危険性が高いし、白色は戦場で簡単に汚れてしまうなど様々な不平を述べました。連合国の主要紙デイリー・サウスカロラインは、ほとんど見た目は戦闘停止の旗であり、敵味方に間違ったメッセージを送るかもしれないと述べました。次第に南軍の一部の兵士は旗の白い部分を切り取り、左上のクォーターだけを使うようになり、2年余りで余白に赤のバナーを入れたデザインに切り替えられました。

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4. 国際ルールの制定

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 戦場において白旗を掲げることがルールで定められたのは、1899年にオランダ・ハーグで開催された第1回万国平和会議で採択された「ハーグ陸戦条約」においてです。

 第二款三十二項に以下のようにあります。

交戦者の一方が他方との交渉を行うため、白旗を掲げて来た者を軍使と規定する。軍使、及び、それに随従するラッパ手、太鼓手、旗手、通訳は不可侵権を有する。

An individual is considered as a parlementaire who is authorized by one of the belligerents to enter into communication with the other, and who carries a white flag. He has a right to inviolability, as well as the trumpeter, bugler, or drummer, the flag-bearer and the interpreter who may accompany him.

伝統的なヨーロッパの認識通り「白旗を掲げる=交渉を求める」ことがルール化されました。

ではすんなりと兵士皆がそのような使い方をするようになったかというとそんなことありません。この規定を逆手にとって、白旗を掲げて敵を油断させておいて敵が近づいてきたところを奇襲するなどの戦法を採る場合もありました。このような行為は戦時国際法違反として罰則の対象となります。

 また、例え司令官の意志で白旗が掲げられても、一部でも部下が降伏に従っておらず抵抗の意思を示している場合は、引き続き戦闘の意志ありとみなす必要があります。白旗を掲げる側は味方の意志を統一する義務を有し、その説得のための努力は敵方にはないわけです。

また海軍では、例え戦艦が白旗を掲げても、砲撃を止める・砲口が向きを外す・戦闘旗が下ろされるなど戦闘の意志がないことを明確に示さない限りは、相手は攻撃を止める理由とはなりません。これも陸軍と同じで、乗組員全員が戦闘停止の命令を受け入れる必要があり、船の司令官は部下にこれを守らせる義務があるのです。

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まとめ

白旗にまつわるあれこれをまとめてみました。

一般的には「白旗=降伏」と勘違いされがちなのですが、これは報道写真やプロパガンダイメージに描かれることが多かったからかもしれません。

▽太平洋戦争・シンガポールの戦いの降伏交渉を描いた絵

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この他にも白旗は、赤旗と組み合わせて手旗信号に使われたり、モータースポーツのレース旗で「ファイナルラップ」の意味として振られたり、「誰の領土でもない」という意味で南極大陸を象徴する旗として用いられたりなど、いくつかの意味を持っています。ここでは割愛しますが、非常にシンプルながら色んな意味が歴史的に持たされてきた過程を知るだけでも楽しいものです。

 

参考文献・サイト

 "How the tradition of surrendering with a white flag developed" New Vision

 "How the white flag became an international symbol for ceasefire and surrender" HISTORY101

 "When did the white flag become associated with surrender?" HISTORY

 "The Historians of Ancient Rome: An Anthology of the Major Writings" Ronald Mellor著

"Hugo Grotius, The Rights of War and Peace (2005 ed.) vol. 3 (Book III) [1625]"

Flags of the Confederate States of America - Wikipedia