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生姜ミルクプリンの科学

「生姜、牛乳、砂糖」という3つの材料だけで作る生姜ミルクプリン(薑汁撞奶)は中国広東料理のデザート。英語圏ではGinger Milk Puddingという名前で広まっていますが、「Ginger Milk Curd」というのが正確かも知れません。作り方は簡単で

「牛乳を温める」
「しょうが汁に注ぐ」
「放置する」

の三行で終わりです。しかし、その簡単な作り方とは裏腹に難易度の高いデザートでもあります。wikipediaに掲載されている作り方

1.新鮮な生姜の根をすりおろし、絞り汁を作る
2.あらかじめ小さめのボールに牛乳の5~8%の量になるように生姜汁を入れておく(1カップあたり大匙1が目安)
3.牛乳(または水牛乳)を、沸騰して小さな泡が出始めるまで加熱する(沸騰したらすぐに火からおろす)
4.牛乳カップ1杯当たり大匙1杯程度の砂糖を加えて溶かす
5.正確に70℃まで冷ます
6.すぐに生姜汁の入ったボールに勢い良く注ぎ入れる(このとき温度は数℃下がる)
7.そのまま4~5分静置する(決してかき混ぜないこと)

を試して、失敗したという方も多いのでは? その理由は生姜の酵素で一度タンパク質を分解し、それを再度結びつけるという複雑な化学反応にあります。

また、wikipediaには新鮮な生姜の根を使うとありますが、ちょっと調べてみると「古い生姜がいい」と書いてあるサイトも。

アメリカの有名な調理科学Blog『Khymos』(現在は更新が止まっているのが残念)の2014年2月24日のエントリ「生姜ミルクプリン」では「レシピを調べていくと指示が具体的であると同時に矛盾に満ちていた」と指摘しています。こういうときは原理原則に立ち返りながら、レシピを組み立てるのが一番です。とりあえず『Khymos』の記事の通りに作ってみます。

予備実験

牛乳 200cc
しょうが汁 14g
砂糖   15g

1 砂糖と牛乳を混ぜ合わせ、電子レンジで30秒おきにかき混ぜながら慎重に65℃まで温める。(温度計できちんと確かめること。温度が高くなりすぎた場合は冷ます。ただし固まり具合はゆるくなる)

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2 そのあいだにしょうが汁を準備する。生姜をすりおろし、キッチンペーパーかさらしなどに絞り、しょうが汁をとり、容器に入れておく。

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3 しょうが汁が入った容器に牛乳を注ぐ。(一気に注ぐが泡立てないように気をつける)かき混ぜないこと。

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4 そのまま10分間冷ます。固まっていたら出来上がり。

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この通り、スプーンがのるほどの状態になりました。しかし、ゲル(ゼリーのことです)としての強度は弱く、ちょっと頼りない状態。また、固まるときと固まらないときがありました。さて、ここからレシピを詰めていく作業に入ります。

はじめに生姜で牛乳が固まる原理を復習する

生姜汁で牛乳が固まるのは生姜に含まれる酵素の作用によるものです。おなじみのチーズはレンネットという凝乳酵素で乳蛋白質を固めたもので原理としては同じ。(レンネットは牛、羊、ヤギなどの偶蹄目の胃に含まれている酵素で、現在は動物由来のものが15%ほど、微生物発酵由来のものが40%ほど、遺伝子組み換え技術を応用したものが45%ほどのシェアになっています)

レンネットはキモシンという酵素がタンパク質を分解しますが、生姜の場合は生姜プロテアーゼ(zingipain)という酵素が同じようにタンパク質を分解します。なにも入れていない牛乳はタンパク質=カゼインがカルシウムイオンによって固定されたミセルという状態で安定しています。そこにしょうが汁を入れるとその酵素がカゼインを切断し、不安定になります。するとミセルが凝集し(それをさらにカルシウムイオンが助け)水分が押し出されることで、ゲル状に固まるのです。

ところがこの生姜プロテアーゼ。酵素活性の温度帯が非常に微妙で、これが多くの人が生姜ミルクプリン作りに失敗する原因になっています。GPの活性は温度帯が非常に狭く、63℃をピークにして、65℃を超えると急速に低下していきます。

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(『Khymos』Ginger milk curdより図版引用)

生姜の酵素の温度帯も微妙なのですが、牛乳も問題です。牛乳の温度を65℃以上にすると熱によってラクトグロブリンという乳清タンパク質成分が凝固してしまい、ゲル化する力が弱くなります。というわけで牛乳の温度は65℃を基準に考えるべきなのですが、しょうが汁に注ぐ際に温度低下が起きるので、その点を考慮すると牛乳の温度は65℃〜68℃がベターという結論になります。となると件のBlogのレシピはやや低すぎるのかもしれません。

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試しに固まらなかった生姜ミルクを60℃に温度設定した電子レンジにかけてみます。温度設定機能がついていない場合の目安は縁がふつふつとなるくらいだと思いますが、試していないのでわかりません。電子レンジが止まったらそのまま5〜10分間放置します。

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ばっちり固まりました。

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こちらは先程の試作に比べても明らかにしっかりとしたゲルを形成しています。

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それなら60度の湯煎かけた状態であればもっと上手にゲルを作れるのでは、と思い湯煎にかけて見ましたがこれはなぜか失敗。熱が伝わるのが遅すぎて酵素が働くよりも先に失活してしまったのか……原因は不明ですが、温度設定ができる電子レンジがあれば簡単につくれることがわかりました。

ポイントは60℃という温度です。Blogで参考にされているChen, Y.-Y. “Factors Affecting Protease Activity of Ginger and Its Application in Milk Clotting Products”, 2004, Thesis (Language: Chinese).という論文によると60℃という温度とpH 5.0が重要なようで、アルカリ性に傾くとゲルが弱くなることが指摘されています。(ちなみにpH5.0という酸性寄りで生姜の酵素が活性化されることを利用したのが僕の『生姜焼き』のレシピの肝です)この点を踏まえると古い牛乳のほうが固まる力は強い可能性はあります。

もう一つ、生姜は『おろし立て』を使う必要があります。生姜プロテアーゼの酵素活性の力は30℃で20分間置いておくだけで半分になってしまうからです。これは生姜にポリフェノールオキシダーゼ(りんごの褐変の原因になる物質ですね)が含まれているためです。ポリフェノールを不活性化するためにはビタミンCを添加すればいいだけなので、ここではレモン汁を1g足すことにしました。

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もう一つ注意点が。この酵素、皮に多く含まれています。右と左の生姜があったとして使うなら左です。大きな塊の生姜の場合、四面からすりおろして皮を中心に使うようにしてください。また、新生姜ではなく、根生姜のほうが酵素が多く含まれています。ただ、切ってから常温に放置した生姜はやはり酵素活性に不安があるので、買ってきた生姜をすぐに使いましょう。(品種としては黄生姜という種類が酵素活性が高いようですが、普通に売っている高知産の生姜でも大丈夫でした)

ただ、件のBlogでは「鮮度よりも温度のほうが重要」と言い切っています。鮮度のいい生姜が手に入らないノルウェーでも安定して作れるというレシピなので、これもまた真実でしょう。

もう一つ、成功確率を上げるには「ノンホモ低温殺菌牛乳」を使うのがベターでしょう。一般的に市販されている牛乳は「ホモジナイズ」という均質処理が施されています。ホモジナイズとは高い圧力をかけて脂肪球を砕くことで、均質化するのですが、その断面を保護するためにカゼインミセルが使われます。そのため、ゲル化の際の構造となるカゼインミセルが減少するため、やわらかくなりがちです。また、殺菌の工程で70℃〜80℃を超えるとカルシウムの一部と乳清タンパク質の一部が変性し、カゼインミセルの表面にくっついてしまうので、やはりゲル化が妨げられます。

とはいえ生姜ミルクプリンを搾りたての生乳でつくると硬くなりすぎる、という問題も起きるので、今回は市販されている普通の牛乳で実験しています。後述しますが温度管理をきちんとすれば問題なく固まります。

本番レシピ

さて、理屈がわかったところで本番レシピです。

牛乳 180cc
生クリーム 20cc
しょうが汁 14g
レモン汁  1g
砂糖   15g

牛乳は買ってきたばかりのものを使っています。材料3つのはずが5つまで増えてしまいましたが、それでも使うだけの価値はやっぱりあるものでして、まず足したのは生クリーム。

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生クリームを使う理由はタンパク質を足すためです。ミルクプリンを形成しているのがカゼインであるなら、それを足すのが一番簡単。コンデンスミルクを加える場合もありますが、加熱によってタンパク質の性質が変わっているので生乳のほうがベターでしょう。

ただ、脂肪分が増えすぎると今度はそれがゲルの形成を妨げるので量には注意が必要です。単純に考えるのであれば牛乳にスキムミルクを足したほうがいいのかもしれません(スキムミルクを加えることでカルシウム濃度が高くなり、それもゲルの形成に貢献するはずなので、これはそのうち試します)生クリームの使用量が20ccと量が微妙なので、省く場合は牛乳200ccでも問題ありません

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しょうが汁にレモン汁を少量足します。いわゆる還元剤としてビタミンCを添加した形です。あとは牛乳と生クリーム、砂糖を混ぜたものを電子レンジで75℃になるまで温めたら……

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一定の速さで注ぎます。高いところから注ぐと温度が下がるので注意。

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仕上げの加熱は温度設定できる電子レンジにおまかせ。そのまま5〜10分間冷まします。

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出来上がり。これくらいの硬さに固まれば充分でしょう。

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ゼラチンでつくった杏仁豆腐のような状態。

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離水していることがわかりますか? これは乳タンパク質が集まった証拠です。こうしてみると見た目もすごくお豆腐に似てます。原理も似てますし、これは牛乳でつくったお豆腐とも言えます。

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ほの温かい状態で食べるのも美味しいのですが、安定して食べるのであれば冷蔵庫で一晩冷やすのがおすすめです。写真からもしっかりエッジが立つほど凝固したことがわかるか、と思います。

今回、生クリームを加えましたが、結果として出来上がりのゲルはやわらかくなりました。タンパク質を増やすという意図よりも脂肪分がゲルの形成を妨げる作用の方が強いようです。ただ、味は生クリームが入ったほうが美味しいんですよね……。

本場は水牛のミルクを使うという話もありますが、タンパク質が多く含まれる水牛のミルクであればおいしいはずでしょう。水牛のミルクが入手できなくとも、ジャージー牛などの乳タンパク質が高い牛乳を使うと成功の確率が上がるかもしれませんし、そもそも夏の牛乳に比べて今の時期の牛乳のタンパク質は多めです。つまり、このデザート、試すなら今、ということ。実験感覚をくすぐるこのデザート、失敗したら温かい生姜ミルクとして、あるいは紅茶の茶葉を水で濃く煮出してからこの生姜ミルクで割ってチャイにすれば無駄がありません。蒸し器を使ったほうが上手にできるという話もありますが、他にもいい作り方があれば試してみたいものです。

撮影用の食材代として使わせていただきます。高い材料を使うレシピではないですが、サポートしていただけると助かります!