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「Twitterはオワコン、移行先はmixi」という世界線はありうるのか小寺信良のIT大作戦(1/2 ページ)

» 2022年11月25日 18時00分 公開
[小寺信良ITmedia]

 一時期イーロン・マスク氏がTwitter社買収中止を表明した際、多くのTwitterユーザーは落胆した。マスク氏ならこの荒廃しきった世界を救ってくれるのではないかという淡い期待もあったが、叶わなかった。

 だが実際に買収されてみると、二転三転する方針と大量解雇によって、多くのTwitterユーザーは再び落胆した。特に11月9日、「Twitter有料化」のうわさが出ると、多くのユーザーはTwitterからの離脱を検討し始めた。その結果、mixiが2位にトレンド入りするという現象が起こった。

 多くの人は、mixiへの回帰を自虐的に語っている。だが一部のユーザーは、「あの…mixiってなんです…か…」という戸惑いも見られる。「mixi疲れ」が社会現象になるほどのブームからすでに16年)、30〜35歳以下の人達は、mixiを知らない可能性は当然ある。

 我々がもう一度大挙してmixiに戻るという世界線は、あり得るのか。

「オープン-クローズ」の法則

 コンピュータによるコミュニケーションがまだパソコン通信の中に閉じていた1990年代、サービスはNifty ServeやPC-VANといった運営会社ごとに別ものだったので、「サービスをまたぐ」という使い方は想定外だった。複数のサービスに加入している人もいたが、多くのユーザーは「どれかに属する」という考え方が強かった。サービス内はテーマごとの「フォーラム」に別れており、その中に「ボード」や「会議室」といった小分類があった。

 オフラインミーティングも頻繁に行なわれており、リアルで会うことにも躊躇がなかった時代である。なぜならば、パソコン通信内では各自パーソナリティが固定されており、中身は主に情報やノウハウの持ち寄りなので、大暴れして逃げるみたいなことをする人もなかった。今パソコン通信の経験がある人は、若くてももう40代後半から50代以上だろうと思われる。

 インターネットが爆発的な普及を見せ、パソコン通信が立ちゆかなくなると、ユーザーは「ネットの海」に漕ぎ出すしかなかった。2ちゃんねるは、ボード(板)に別れてスレッドが立つみたいなところはパソコン通信と構造的に似ているが、匿名性が高かったこともあり、その雰囲気はパソコン通信とは異質のものであった。誰でも書き込め、誰でも読める「オープン性」も、実際にはいつ何に襲われるかわからない荒野に放り出されたようなものだった。

 2ちゃんねるに馴染むことができなったユーザーは、細々と個人のホームページを立ち上げて掲示板などを営むに至ったが、パソコン通信のような巡回性が低く、盛り上がらなかった。またコメント機能もオープンだったことから、「通りがかり」と称する者が場を荒らして逃げていくみたいなことが頻繁に起こり、ホームページの運営は「労多くして実りなし」であった。

 ただ、このときに「公開日記」の文化が生まれており、これはのちに「ブログ」に継承された。アメリカでブログが大絶賛され始めたとき、ホームページを持つ日本人の多くは、「これって公開日記のことでは」「公開日記だろこれ」「え、今ごろ?」と困惑したものだった。ブロガーが一種のジャーナリストとして認知された時期もあるが、日本人的には今も「ブログ=日記」という認識ではないだろうか。

 そんなパソコン通信難民がたどり着いた安住の地が、「mixi」であった。招待制で始まったこのサービスは、オープンであることをよしとしたインターネットの中に、改めて外敵の侵入を防ぐ囲いを作るものであった。個人の発言は日記となり、それを見に来た人がコメントや足あとを残す。新しい書き込みがあれば、メールで通知される。かつての「フォーラム」の代わりとなる「コミュニティ」もある。パソコン通信での人脈を組み立て直すには、格好の場所であった。

 だがここまでは、日本独自の文化圏である。2007年頃にTwitterが話題になり始めると、新しいオープン型相互コミュニケーションの形として受け入れられた。匿名で使う事もできるが、著名人には実名(芸名)のほうがメリットがあった。ネームバリューでフォロワーが集められるからである。よって、著名人の回りに無名のユーザーが群がるという構造ができた。オープンなら匿名、クローズなら実名が当たり前だった世界に、オープンで実名という世界が生まれた。

 ここまで、コンピュータによるコミュニケーションは、オープンとクローズの間で揺り戻しがあり、ユーザーはサービスを「乗り換えて」いた。Twitterのブレイクは2009年頃と言われているが、これは新しいメディアであり、mixiの代わりではなかった。mixiの直接的な代用となったのは、米国での誕生からかなり遅れて日本で認知された、facebookである。

筆者の主観で、ネットコミュニケーションの変遷をまとめてみた

 FacebookとTwitterは、我々が経験した初めてのワールドワイドコミュニティであったことから、息が長かった。ここでオープンとクローズ間の振動は止まり、TwitterはTwitterとして、facebookはfacebookとして、どちらも別物として我々の世界に定着した。

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