それはなぜか。「生き物として逃げられないもの」と折り合いをつけるにはどうしたらいいのか──。
『科学とはなにか』を上梓したばかりの佐倉統さんはもともと、進化生物学の分野から研究の道に入りました。『インハンド』の連載を終えたばかりの朱戸さんに語ったのは、「人間の幸福を進化論で考える視点」……!?
(構成/中川隆夫)
「生物としての自分」と向き合う
朱戸 『科学とはなにか』でお書きになっていた、「最新の科学的知見を取り込んで人生観や社会観をアップデートしていく」というご指摘が、強く印象に残りました。ほんとうにそうですよね。
私はいわゆるワーキングマザーなんですが、子供を産んで育てていると、「生物学的に女性である」ことにどうしても向き合わなくてはいけなくなるんです。そして、生き物である私を考えていくと、進化論に興味が出てきて、いまはとりあえず『種の起源』を読みはじめているところです。
佐倉 新たな橋が架かった。
朱戸 そうなんです。「生き物として逃げられないもの」があるな、というふうに考えはじめて、切実な問題として「その限界を合理的に超える方法」について模索するようになりました。
佐倉 非常に興味深い視点です。
朱戸 『科学とはなにか』のなかに、生物としての人間が心地良いと感じる共同体の規模は、150人ほどであるという話が出てきますね。
佐倉 石器時代の人類が暮らしていた共同体の規模がおよそ150人ぐらいだと、イギリスの人類学者、ロビン・ダンバーが推測して出したので「ダンバー数」と呼ばれています。150という数の絶対値はともかく、百から数百の範囲の共同体で暮らすのが、人間社会には適していると考えられています。
朱戸 でも現在では、150人の環境で暮らすことができるかと言えば無理ですよね。だとすれば、どのように折り合いをつけて暮らしていけば、生物学的に心地良いのでしょう?
生物多様性と資本主義
佐倉 難しい問題ですね。最近いろんな人と話をしていて、キーワードの1つは「時間軸」かなと思っています。生物の進化は、今この瞬間に変化するという短期的な話ではなくて、長い時間で見て生き残る確率が高い方向に進んでいくものです。集団のなかで多様性を維持しているのは、「結果として」そうなっているだけで、目的論的にそのようになっているわけではありません。
朱戸 ある環境に適応した生物ばかりになってしまうと、もしその環境がダメになったらみんな絶滅してしまう、ということですよね?
佐倉 仰るとおりです。ウイルスなども、そのいい例ですよね。今いる生物は、ある程度の時間軸を経て、結果的に多様性を保ちながら生き残ってきた。
朱戸 ある時間の幅のなかで、より適切な解を求めていく……。
佐倉 逆に、「今、この瞬間」の利益を最大にしようとするならば、そのような多様性はムダということになって、資本主義経済のようなやり方でいくしかありません。でも、生物はそうなっていない。もっと長いスパンで見て、あれもこれも生き残るという状況になっています。